「あしたの私のつくり方」
原作は真戸香の同題の小説、監督は市川準。
成海璃子の作品をはじめて見たが、恐るべき才能だ。
成海は眉毛が濃いが、父親に石原良純、母親に石原真理子、兄に柄本時生と、彼女にあわせて眉毛の濃い役者を集めている。彼女にあわせたわけではないのかもしれないが、彼女の存在感がただならぬので、そう見えてしまう。子役の上手さではなく、すでに大女優の風格があるのである。
寿梨(成海)が小学校六年生の時から映画ははじまる。寿梨は家ではいい子を演じ、学校では中庸の快活な子のふりをして、周囲から浮かないように気を配っている。両親はことごとにいがみあっているが、寿梨のお受験に関してだけは意見が一致しているので、寿梨は受験勉強に身をいれざるをえない。
寿梨はお受験のために一週間学校を休むが、落ちてしまう。登校してみると、クラス委員で人気者の花田日南子(前田敦子)がシカトされていた。寿梨は日南子に憧れていたが、いじめられる側に回るのが怖いので、シカトにくわわる。一方、それまでいじめられていた少女が寿梨の落ちた私立に合格していた。
卒業式の後、本を返すために図書室にいくと、日南子がいたので声をかける。日南子は二人だけだと口をきいてくれるんだねと皮肉をいうものの、「本当の自分」と「嘘の自分」があるという話をする。周囲にあわせることに無理を感じていた寿梨は日南子の言葉に強い印象を受ける。
中学になると、寿梨の両親はいよいよ離婚し、家は処分することになった。寿梨は母親に引きとられ、杉谷姓から大島姓に変わる。日南子の方はいじめられっ子をつづけていた。
高校に進学してから、寿梨は日南子が田舎に引っ越したという噂を聞く。小学校の卒業の日に聞いた「本当の自分」と「嘘の自分」という話がずっと気になっていた寿梨は日南子の携帯の番号を教えてもらいメールを出すが、「本当の自分」と「嘘の自分」という話をもちだしても、思いだしてもらえない。
寿梨は正体が知られていないことに気安さを感じ、コトリと名乗って日南子に頻繁にメールを出し、人気者になるコツをレクチャーしはじめる。日南子はコトリのメールの通りにふるまい、新しい学校で人気者になっていく。
たまたま寿梨は所属の文芸部で小説を書かなければならなくなり、コトリ名義のメールを小説の題材に使うことを思いつく。母の再婚話がもちあがる中、寿梨はコトリという架空の人格にのめりこんでいくが、日南子の方はコトリのアドバイスで作りあげた人気者のキャラを拒否しはじめる……。
市川準作品は澄まし汁のような淡白な味わいが身上だが、この作品の場合、寿梨の家族に石原良純や石原真理子のような脂ぎった生臭い役者を使ったために、バランスが崩れてしまった。W石原はミスキャストだ。特に、石原真理子はいけない。
二人の主人公のうち、前田敦子は冴えない。泥臭くて、どう見ても人気者だったことがあるようには見えない。
しかし、こういう致命的な欠陥があるにもかかわらず、作品そのものはおもしろかった。成海璃子一人の力といってよい。あまりにも早く大人にならなければならなかった少女の痛みがびんびん伝わってくる。終盤、思い出の家がお受験で合格したクラスメートのものになっていたことを知る場面の悲しみは、さりげない表現だけに、よけい痛切である。