2008年4月18日金曜日

マイナーな「恐竜大陸」展

タルボサウルス

 幕張メッセで中日新聞社主催の「恐竜大陸」を見てきた。

 昨年の夏は関東では恐龍展が一つもなかったが、名古屋ではこの「恐竜大陸」をやっていて、それが春に千葉へ来たわけである。今年の夏は新潟にいくらしい。恐龍もどさ回りをさせられて御苦労なことである。

 中国とモンゴルで出土した化石が中心で、巨大な骨格模型が売物だが、アメリカ産と違い、もっさりしているというか、あまり格好良くない。多分、種の違いというより、復元した人のセンスによるものだろう。人体のプラスティネーション標本も中国製のは陰気で垢抜けなかった。

 展示はポリシーがはっきりせず、ただ並べましたという印象で、もったいないと思った。学術色がまったくなく、図録もなかった。主催者側は子供相手のイベントと高をくくっているのかもしれない。最近の子供は大人よりよほど詳しいのだが。


手前の小さな恐龍が羽毛恐龍インゲニア
羽毛恐龍
シノカリオプテリクス
最古の被子植物
アルカエフルクトゥス
足跡の化石

 羽毛恐龍の化石は続々発見されていて、この恐龍展でも一つのコーナーができていた。羽毛の跡がわかるのは感動ものだったが、ただ寄せあつめたというだけで工夫がないし、中型の羽毛恐龍インゲニアを大型龍の隣の目立たない場所に展示してあるのは不親切だ。鳥につながらなかったにしても、同じ場所に置くべきだったのではないか。

 ゆったり展示してあるのはいいが、会場は広すぎた。展示物に較べて面積をもてあましていて、最後のコーナーは場末の遊園地にあるようなマンガ風の恐龍と、恐龍映画のスチール写真の展示でお茶を濁していた。

 季節外れの恐龍展のせいか客がすくなく、閉鎖直前のテーマパークのような物悲しさがあった。あれでは恐竜が可哀相である。

2008年4月10日木曜日

「中国」の実態を告発する国民集会

 宮崎正弘氏のメールマガジンで知った「「中国」の実態を告発する国民集会」(豊島公会堂)に行ってきた。右も左も、政治集会という集まりは初めてだったが、いろいろな意味でおもしろかった。

 雨だったが、一階は早々と満席で、二階にも人をいれていた。700人という主催者側発表はほぼ実数だろう。雨が降らなかったら、会場にはいりきらなかったかもしれない。

 まず国歌斉唱、つづいてラサ騒乱で亡くなった人たちに黙祷をささげる。正面の日の丸といい、司会の太った人といい、なんとも香ばしい。政治集会に来たんだなあと実感する。

 まず、この集会の発起人である政治評論家の加瀬秀明氏。今日はダライ・ラマ法王が日本にトランジットで立ち寄り、記者会見を開くという絶妙のタイミングだったが、加瀬氏によればまったくの偶然だという。開催を決め、会場を押さえたのは昨年11月。毒餃子事件やチベット騒乱が起こるなどと予想した人はいず、人が集まるか懸念したとのこと。すごい偶然である。

 さらに加瀬氏はオリンピックを開いた独裁国家は9年後に崩壊するというジンクスがあり、中国も1917年に崩壊するかもしれないと指摘。場内爆笑。

 このジンクス、笑いごとではない。ナチス・ドイツは1936年にベルリンでオリンピックを開いたが、9年後の1945年に崩壊。ソ連は1980年にモスクワでオリンピックを開くが、やはり9年後の1989年に崩壊。ナチスはともかく、1980年時点でソ連の崩壊を予測したのは小室直樹氏くらいだった。2017年の中国崩壊だって、ないとは言えまい。

 次いで登壇したのは中国食品の危険性を指摘しつづけてきた上海出身の陳惠運氏陳。陳氏には『中国食材調査』などの著書があるが、昨年、アメリカやヨーロッパ、南米で中国食品や薬品の事故がおこるまでは、マスコミからはトンデモ本あつかいされてきたという。中国礼賛論がはびこる状況ではそうだったろう。

 陳氏は中国毒菜の危険にもっともさらされているのは中国自身だと指摘。大地と水と大気が汚染されているので、特別な無農薬農場の作物を食べ、最高の医療を受けているはずの中国共産党常務委員クラスでも癌が多発しているという。

 中国政府はオリンピックがあるので工場を北京から移転させるとか環境に配慮しはじめたが、終わったら元にもどるので、毎年オリンピックを開いてほしいと語っていた。

 三番目は民主党代議士の西村慎悟氏。ファンが多いらしく、ひときわ大きな拍手でむかえられる。

 この人の演説は迫力がある。台湾と朝鮮半島が中国に呑みこまれ、日本は太平洋の端で孤立すると警鐘を鳴らすが、聞いているだけでアドレナリン濃度が高くなる。

 台湾の馬九英政権が国共合作に踏み切ったら、アメリカが手塩にかけて育てた台湾の軍事力が日本のシーレーンに向かって牙を剥くというのだが、南京「大虐殺」をフレームアップしたのはそもそもは国民党だっただけに、ありえない話ではない。。

 朝鮮半島に対する指摘も説得力がある。李明博大統領は保守派ということになっているが、損得を第一にする企業人である以上、北朝鮮が崩壊したら多大の経済負担のかかるドイツ型の統一は選ばず、国連統治にゆだねる可能性が高い。国連統治とは実質的には中国統治であり、韓国もまた中国の影響下に置かれる。38度線は対馬海峡まで下がってくるというわけだ。

 北朝鮮はすでに人民元経済圏に組みこまれており、早晩中国に呑みこまれるだろう。問題はそうなった場合の韓国のナショナリズムだ。千年以上事大主義をつづけたきた民族だけに、あっさり中国に飲みこまれてしまうかもしれない。


ペマ氏とチベットの雪山獅子旗。


 四番目は本日の主役というべきペマ・ギャルポ氏。日の丸に一礼した後、雪山獅子旗の横でチベットの窮状を明解な言葉で訴えた。この人の日本語は完璧で風格がある。

 五番目は成田のダライ・ラマ法王会見から駆けつけた西村幸祐氏。会見には内外の記者100人以上が集まったという。

 西村氏は重要な指摘をした。ダライ・ラマ法王は中国の侵略主義を批判した後、「この問題はアジアの他の地域にも波及する」と締めくくったが、通訳の女性はこの肝腎な条をスルーしてしまったというのだ。危機感がないのか、それとも中国に遠慮したのか。ちゃんと訳したとしても、マスコミが伝えるかどうかは疑問だが。

 六番目は亡命中国人で中國民主運動海外聯席會議代表の相林氏。最初に中国人としてペマ氏をはじめとするチベットの方々の謝罪したいと述べてから、中国民主化運動の現状を語った。

 七番目は中国民族問題研究会の殿岡昭郎氏。東トルキスタン(新疆ウィグル自治区)と南モンゴル(内蒙古自治区)の代表者と夫々の国旗を紹介した後、中国勢力が政界・財界・官界・言論界の内側深く入りこんだ現状を打開するには、チベットや東トルキスタン、南モンゴルの人々と連帯して中国を背後から揺さぶるしかないという危ない内容。趣旨はわかるが、明石大佐級の人がふたたびあらわれないと無理だろう。


左が東トルキスタン旗、
右が南モンゴル旗。



 八番目は民主党都議会議員の吉田康一郎氏。民主党ということで最初、会場との間に隙間があったが、高校時代に朝日新聞に電凸した体験を話しだすと距離が一気に縮まり、同志という感じになった。これが政治集会というものか。

 さて、宮崎正弘氏である。メルマガが面白いので一度話を聞いてみたいと思っていた。

 宮崎氏は中村伸郎を皮肉っぽくした感じの飄々とした爺さんだった。辺境地帯まで取材の足を伸ばすのだから、もうすこし若い人を想像していた。中国の繁栄は偽装であり、バブル崩壊はオリンピック前からはじまっているという趣旨の話でメルマガの内容と重なっていたが、冗談のような本当の話を次々と披露して、爆笑また爆笑。期待通りだった。

 トリは保守派の論客の大原康男氏。まとめと、皇太子殿下のオリンピック開会式出席はまだ完全につぶれたわけではなく、注意が必要という趣旨だったが、話がくどい。それまでの登壇者は短い持ち時間の中で内容を凝縮して語っていただけに、よけい冗長に感じられた。半分の時間でまとめるべきだ。

 プログラムはこれで終わりだったが、最後にエプロンデモ実行委員会代表の岡本明子氏が決議文を読み上げ、拍手で了承するという儀式があった。はじめて出たのでよくわからないが、政治集会とはこういものなのかもしれない。

 左翼の集会は20年ほど前から2~30人がせいぜいで、100人以上集めるのは至難と聞いたが、保守系は軽く数百人は集まるわけである。ところが、取材にきたのはチャンネル桜くらいのようである。左翼の集会なら数十人規模でも新聞でとりあげるが、団塊世代がトップにいる間はこうした変更がつづくのだろう。

2008年3月23日日曜日

ラサ騒乱

 15日、チベットのラサで「暴動」が起きたと報じられた。外国メディアを締めだす中、中国メディアは商店を襲撃したり、自動車をひっくりかえす「暴徒」の姿を映した映像を世界に配信した、温家宝首相はおりから開催中の全人代で「暴動」は「ダライ集団」によって扇動されたものであり、警察が取締にあたったが、銃は一発も発砲していないと発表した。チベット亡命政府は武装警察と軍によって百人以上が殺された声明を発したが、中国側発表では「暴動」の巻添えになって18名が犠牲になっただけだという。

 ラサを訪れていた日本人観光客が上海から緊急帰国の途についたが、空港でTVカメラを向けられると「話してはいけないと言われている」とだけ言って、逃げるように飛行機に乗りこんでいった(NHKニュース)。

 ところが日本にもどると、現地で撮影した写真やビデオ映像が出てきた(スーパーJチャンネル)。そこにはポタラ宮を睥睨する戦車や、多数の装甲車や兵士が街路を埋め尽くしているさまがはっきり映っている。彼らは銃撃や砲撃の音も聞いたと語っている。やはり中国側の発表はウソだったのである。

 日本のマスコミも信用できない。テレビ朝日のスーパーJチャンネルは旅行者が隠し撮りしてきた映像を流したものの、コメンテーターは中国側の発表は「ウソではないものの、自体を小さく小さく見せようとしている」と語っている。ウソであることを暴いた映像を流しながら、なぜ「ウソではないものの」などととりつくろうのか。

 毒餃子事件の直後だからまだ報道されている方だし、見出しも「チベット暴動」から「チベット騒乱」に変わりつつあるが、もし毒餃子事件がなかったとしたら無視の状態だったかもしれない。

 東京のTV局のおよび腰にくらべると、関西のTV局ははるかに率直である。朝日放送の「ムーブ」3月21日で青山繁晴氏がおこなったチベット問題の解説がネットで評判になっているが(1/32/33/3)、確かに説得力がある。

 青山氏によれば英米日三ヶ国の情報機関は今回の事件がラサ駐留軍の暴走で起きたという見方で一致しているという。


 中国側は「暴動」は3月15日に計画的に起こされたとしているが、実際は3月10日の中国軍の挑発が端緒となっている。今年は1959年のチベット蜂起から49年目にあたり、3月10日に平和的なデモが計画されていたが、北京の中央政府はオリンピックが控えているので、穏便な規制を駐留軍に指示していた。ところが、3月10日当日、デモの列に一台の装甲車が突進していき、参加者を多数死傷させた。ラサ各所で抗議行動がはじまるや成都軍区は最精鋭部隊をラサに派遣し、ついに15日の流血の事態にいたったというのである。

 世界的に見て「暴徒」の鎮圧に軍隊が出動するのは珍らしいことではないのに、温家宝首相は全人代で人民解放軍の関与を完全否定している。国際社会に温厚さをアピールしてきた温家宝首相にとってはイメージダウンだが、青山氏によれば温家宝首相が軍隠しをしなければならなかったのは軍が中央の指示を無視して暴走したからだという。

 ここからはわたしの推測であるが、もともと中国はチベット人をなめきっていた。1951年のチベット侵略では、チベット軍というかチベット守備隊は人民解放軍にけちらされ、たった数時間で瓦解している。ダライラマが非暴力路線をつらぬいたために、弱者の最後の武器であるテロがおこなわれることもなく、今回も丸腰で軍に立ち向かった。圧倒的な優位にたつ軍の立場からすれば、オリンピックが近づいてから騒動を起こされるより、今、挑発して叩き潰しておいた方がいいと考えたとしても不思議ではない。数日で鎮圧し、社会主義者得意の残党狩りでチベット男性を大量殺戮すれば、チベット人の混血化もさらに進むだろう。

 胡錦濤政権はもともと人民解放軍を掌握しきれておらず、基盤が脆弱だといわれてきた。江沢民派を汚職摘発の名目で一掃しようとしたものの、返り討ちに遭い、今回の全人代では司法ポストをふくむ重要ポストを江沢民派にあけわたしている。

 さて、青山氏は最後に恐ろしいことを語った。今の中国は満洲国を作った頃の日本とよく似ているというのである。確かに青蔵鉄道と北京オリンピック、一旗組のチベットへの流入は、満鉄と幻に終わった昭和15年の東京オリンピックと満洲移民熱に不思議に重なる。1930年代の日本は世界不況からの出口を求める民衆の熱狂をコントロールできずに戦争に突入していったが、中国はどうなるのだおるか。

2008年3月13日木曜日

NGOになったICPF

 ICPFシンポジュウム「情報通信政策の課題」を聴講してきた。今回はNGOとして再出発する記念ことだったが、どの話もおもしろかった。

 一人目は「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」のキーマンである中村伊知哉氏で、情報通信法について語った。

 情報通信法については昨年10月のICPFセミナーに総務省情報通信政局総合政策課長が登場したが、「世界最先端の制度」と自画自賛に終始し、はしゃぎすぎの印象を受けた。今回の中村伊知哉氏は役者が一枚も二枚も上で、できる人のようである。

 情報通信法が言論の自由を脅かすという議論は放送業界の目くらましにすぎないから、本丸であるインフラの問題に切りこむべきだという話を遠回しに語っていた。どこまで本気かわからないが、人が集まり経済が活性化するのなら、言論の自由、大いに結構ということらしい。

 二人目はこれまでICPFの代表だった池田信夫氏で、持論の電波利権について吠えた。内容はいつも通りだったが、民主党とからめて、2010年のアナログ停波は不可能と断言した。

 停波を強行したら、デジタルもアナログもわからない年金暮らしのお婆さんが、突然、TVを見られなくなってしまう。これこそ弱者切り捨てであり、自民党の脚を引っぱろうとあの手この手を試みている民主党が飛びつかないはずはないというわけだ。

 数字的に見ても、アナログのTVはまだ6000万台残っている。日本のTVの販売台数は年間1000万台で、これは買換需要にほぼ等しいという。単純計算でも、全部デジタル対応に置きかわるのに6年かかる計算だ(デジタル→デジタルの買換えもあるから、実際には10年以上かかるだろう)。2010年のアナログ停波など、最初から無理だったのである。

 池田氏の電波利権批判はまったくその通りだし、日本も電波のオークションをやるべきだと思うが、まあ無理だろう。

 質疑応答で、電波がコマ切れ状態で固定されているのは、古い技術でせこい商売をしている弱小業者が役所にびっしり貼りついているからだという指摘があった。高いところから説教しても効果はなく、弱小業者に数千億のビジネス・チャンスがあることを啓蒙するところからはじめないと、何も変わらないといういうわけだ。そうなればいいとは思うが、無理だろう。

 三人目は新しくICPF理事長に就任した林紘一郎氏。この人もすごい。NTT出身だそうだが、技術と法制度と文化の三つに通じていることが言葉のはしばしからうかがえる。オタク的な専門バカはうじゃうじゃいるが、久しぶりに本物の学者を見た。

2008年3月12日水曜日

アメーバー化する人権擁護法案

 人権擁護法案が15日にも提出されるという。もともとは行政機関による人権侵害を防ぐための法案だったが、途中から国民全体を取り締まる法案にすり変わり、人権擁護委員会という機関にほとんど制約のない捜査権をあたえている。

 人権擁護委員会は警察よりも強力である。警察は法務大臣の指揮下にあり、家宅捜索をおこなうには裁判所から令状をもらう必要があるが、人権擁護委員会は形式的には法務大臣の管轄下にあるものの、独立して職務をおこなえることが明記されており、裁判所の令状なしに他人の家に立ち入り、関係書類を検査することができる。また、警察は管轄区域以外で捜査をおこなうことはできないが、人権擁護委員は自分が任命された市町村以外でも捜査等がおこなえる。

 差別かどうかを決定するのも裁判所ではなく、人権擁護委員会である。そもそも法案には差別の定義が明文化されていない。人権擁護委員会が差別と断定したら、反論の余地はなく、差別にされてしまうのだ。

 産經新聞の「人権擁護法案はポストモダン?推進役の東大教授に異論噴出」によると、自民党人権問題調査会が法案推進役である塩野宏「人権擁護推進審議会」元会長を呼んで質したところ、こう答えたというのである。

 塩野氏は「法案はポストモダン的なもの」で、人権委員会を「救済制度の至らないところにどこへでも足を伸ばすアメーバ的存在」とたとえ、法案の必要性を強調した。

 また、塩野氏は加害者として訴えられた人の救済措置が不十分との指摘には「救済制度をつくることはあまり念頭になかった」と不備を認めた。


 アメーバーとはよくぞ言ったものだ。まさに人権擁護委員会は不定形なアメーバーのように好きなところに義足を伸ばし、獲物をからめとってくることができるのである。

 しかし、こういう何でもありの権力をポストモダンと呼ぶのはおかしい。ポストモダンの不定形は相対主義に由来するが、人権擁護委員会の不定形は弱者の言い分を無条件に真実とする絶対主義にもとづく。弱者の言い分は絶対的に正しいから司法的判断を介在させる必要はなく、超法規的な無制約の権力を行使させてよいというわけだ。

 これでは冤罪だらけになりかねない。しかも、塩野氏は冤罪の救済措置は考えていなかったというのである。


 人権擁護委員会の委員には誰が選ばれるのだろうか。任命するのは市町村長だが、法案には「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見」を聴かなければならないと明記されている。選挙で選ばれた市町村長には委員を選ぶ権限がないのだ。委員の定数は人権擁護委員会自体が決定するから、お手盛りになりかねない。

 法案はまたいたるところで弁護士の関与を定めている。人権問題にかかわるとなるといわゆる「人権派」弁護士ばかりになってしまうだろう。「人権派」弁護士がいかに偏った考え方をする人種であるかはご存知の通りだ。人権擁護法案は世間から相手にされなくなっている「人権派」弁護士に水戸黄門の印籠をあたえる結果になるだろう。

 人権擁護委員会の委員になる資格は当初は「選挙権を有する者」とされていたが、途中から「住民」になっている。日本国籍がなくてもなれるのである。

 唖然とすることばかりなので、どうか一度法案を読んでほしい。こんな滅茶苦茶な法案が上程されようとしているなんて、自分の目で読まないとにわかには信じられないだろう。

 在日朝鮮人が市町村から根拠のない免税措置を受けていたとか、奈良で二年間出勤しない公務員がいたとか、弱者利権がようやく問題にされるようになったが、人権擁護法案が施行されたら、そうした事例を報道することは不可能になるだろう。取材途中でガサいれされたら、取材源を秘匿することはできなくなる。北朝鮮による拉致問題の追求だって、人権擁護法案があったら、途中で闇に葬られただろう。ようやくジャーナリズムのメスがはいりかけた弱者利権が、再び巨大なタブーになってしまうのである。悪徳政治家が利権を隠蔽するために、弱者利権を利用することだって考えられる。自民党内の推進派はそれを狙っているのではないか。

 これだけ危険な法案なのに、なぜ大半のマスコミは避けるのか。そして、自民党の一部議員と共産党以外の国会議員はなぜ黙過しようとしているのか。どうか多くの人がこの問題に関心をもってもらいたい。

2008年3月5日水曜日

ビデ倫はなぜ摘発されたか

 日本ペンクラブ言論表現委員会でビデ倫問題を話しあった。委員会でのレクチャーをもとにネットで調べてみたが、どうも単なる猥褻基準の問題ではなく警察利権にかかわる根の深い問題のようである。理解している範囲であらましを書いておく。

 ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)は1972年に設立された自主審査団体で、映倫をモデルにし、警察OBと映画界OBを受けいれて体制をととのえた。ビデ倫未加盟メーカーの作品の摘発が相次いだので卸業界とレンタル業界に支持されるようになり、絶大な影響力をもった。だが、1990年代後半、独立系のメーカーが警察OBをむかえてつぎつぎと独自自主規制団体を作り、ビデ倫よりもゆるい基準で過激な作品を発売するようになると、ビデ倫加盟メーカーは売上を奪われるようになった。レンタル業界も非ビデ倫メーカーの作品を受けいれるようになり、ビデ倫を脱退するメーカーがあいついで加盟メーカーは150社から90社へ急減した。審査作品数も2004年は9千本を越えていたが、昨年は6千本を割りこむまでになった。ネットに無修正映像が氾濫するようになったことも影響しているだろう。

 ビデ倫は2004年から審査基準を段階的に見直していたが、2006年8月にはさらに緩和した新基準を打ちだした。その直後にビデ倫の審査を通った2作品が2007年8月警視庁に摘発され、さらにビデ倫までもが猥褻図画頒布幇助容疑で強制捜査を受け、審査員が長期にわたって取調を受ける事態となった(毎日新聞「アダルトDVD:審査本数減り収入減少…危機感で基準緩和」、読売新聞「ワイセツDVD審査甘く…「ビデ倫」幹部逮捕へ」、産経新聞「「新興勢力が」 ビデ倫部長の危機感とは…」によるが、各紙ともみごとに内容が一致している)。

 摘発された2作品は新基準の落としどころを模索していた時期に審査されており、ZAKZAKによると、確かに非ビデ倫系メーカーの作品よりも見えていたらしい。

 その意味で突出した事例を摘発し、一罰百戒的に暗黙の許容基準を示したと見えなくもないが、それにしてはビデ倫とビデ倫関係者に対する取調はきわめて厳しいものだった。パソコンからメモ帳まであらいざらい押収した上に、延べ150人の関係者に事情聴取をおこなったという。ずっと受けいれていた警察OBの天下りをビデ倫が断るようになったことに対する報復ではないかと囁かれる所以である。

 ビデ倫は強制捜査後第三者による有識者会議を組織し、その提言にもとづいて改革をはじめていたが、警視庁は3月1日、審査部統括部長を猥褻図画頒布幇助容疑で逮捕した。

 有識者会議の提言は公開されていないが、メーカー出身の理事を減らして学識経験者の理事を増やすとか、審査基準の透明化、乱立している他の自主審査団体との連携をはかるなど、改革の努力は評価していいだろう。

 こうした改革が動きだした矢先の逮捕である。警察以外の権威の誕生をつぶそうとしたとか、ビデ倫をふたたび天下り先にしようとしているという見方が出てくるわけである。

 そもそもビデオの過激化に歯止めをかけるのであれば、独立系のメーカーが独自審査団体をつくって過激な作品を発売しはじめた時点で歯止めをかけるべきだったろう。それを見のがし自主審査団体の乱立を放置したのだから、警察は天下り先を増やしかっただけではないかと勘ぐりたくなる。こうした経緯を伝えず警察側発表を垂れ流すマスコミも問題である。

2008年2月17日日曜日

スペイン風邪と歴史人口学

 もともと今頃は気分が沈む時期だが、今年は新型インフルエンザの報道のせいで余計鬱がひどい。

 新型インフルエンザ・ウォッチング日記高病原性鳥インフルエンザ海外報道抄訳をチェックしているが、ウィルスの人間対応が着々と進んでいるらしく、戦々恐々としている。

 岡田晴恵氏の『H5N1型ウイルス襲来』が個人でできる対策を紹介していて、これを指針にメディカルマスクN95マスククレベリンの備蓄をはじめている。どれも有効期限が数年あるので、無駄にはならないだろう。

 さすがに食料の備蓄までは手をつけていないが、シリアル類やミネラル・ウォーターはいつもより多めに買いこんでいる。

 スペイン風邪関係の本を何冊か読んでいるが、恐ろしい話ばかりである。速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』によると、日本での死者数は内務省衛生局の発表した38万5千人が一般的で、それをもとに新型インフルエンザ流行時に64万人の死者が出ると推計されているが、内務省の数字がそもそも怪しいのだそうである。

 現在のようにウィルスの検査キットはなかったから、他の死因と誤認された死者が相当いただろうことは容易に想像がつくが、それだけではない。内務省が資料とした都道府県別・月別の統計と見ていくと、岩手県や沖縄県の数字がそっくり抜けている上に、京都府のように流行の途中で集計をやめたところもある。

 どうしたらスペイン・インフルエンザの被害の実態に迫れるのだろうか。速水氏は「超過死亡数」という手法を提案する。流行期の死者数から、平常年の死者数を引き、その差をスペイン・インフルエンザによる死者数と推定するのである。速水氏によると、推定死者数は45万31252人にのぼる。従来の説より7万人も多い。

 意外だったのはスペイン・インフルエンザは地球を一周した後、一段と凶悪化した第二波の流行がはじまったことである。罹患者数は第一波におよばないが、致死率が5倍以上高かったので、死者数は第二波の方が多い。

 新顔のウィルスは感染が拡大するにつれ急速に弱毒化していくものと思いこんでいたが、一年や二年では弱毒化しないようである。

 鳥インフルエンザのインドネシア株は致死率80%といわれている。途上国であるから、鳥インフルエンザと診断されずに自然治癒した隠れ感染者がかなりもれている可能性がある。80%は額面どおりには受けとれないが、それでも効率であることには変わりはない。

 日本の医療はぎりぎりのところで運営されているから、新型インフルエンザ患者が一万人も出たら崩壊してしまい、まともな治療は受けられなくなるだろう。政府の致死率2%という見通しは甘すぎる。

 40才以上は致死率が低くなるらしいが、若者ほどではないにしても高率で死ぬのだろう。自分が生きのびられるとはとても思えない。備蓄よりも身辺整理をはじめた方がいいかもしれない。

2008年2月14日木曜日

タイタンと石油無機起源説

 Technobahnに「土星の衛星「タイタン」は地球の石油埋蔵量を上回るエネルギー資源の宝庫」という記事がのっている。タイタンの表面にメタンやエタンの湖があることが確認されたというのだが、いくら厖大に存在しても地球に運んでこれるはずはなく、絵に描いた餅である。

 しかし、この発見は別の意味で重要だ。石油の無機起源説の傍証となるからである。

 石油は太古のプランクトンが地中に埋まり、高熱と高圧で液化したものだと考えられているが、それとは別に、地球形成の際に取りこまれた星間ガスが起源だという説もある。これを石油無機起源説という。

 トンデモ学説のように思うかもしれないが、石油無機起源説は19世紀には有機起源説とならぶ学説としてまじめに議論されていた。20世紀になり、石油から生物の痕跡が発見されると、西側世界では下火になったが、ロシアでは有力な仮説として着々と研究が進められ、古細菌と地底生物圏の発見以降、世界的に見直されつつあるという。詳しくはトーマス・ゴールドの『未知なる地底高熱生物圏』と『地底深層ガス』を読んでほしい。ロバート・アーリックの『トンデモ科学の見破りかた -もしかしたら本当かもしれない9つの奇説』にも、一章をさいて肯定的に紹介されている。

 ただ、無機起源説が正しく、石油が無尽蔵にあったとしても、手放しではよろこべない。二酸化炭素が温暖化の原因かどうかは置くとしても、二酸化炭素よりもはるかに温室効果の高いメタンが厖大に存在することになるからである。無機起源説が正しいとしたら、温暖化は防ぎようがない。どうあがいても無駄である。

2008年1月21日月曜日

北朝鮮はチベット化するだろう

 北朝鮮有事の際、中国が北朝鮮に軍の派遣を検討していることが中国人民解放軍内部で検討されているという記事が読売に出た。


 中国軍の北朝鮮進駐の可能性は本欄でたびたび指摘してきたし、最近も米国戦略問題研究所(CSIS)と平和研究所(USIP)が共同で同趣旨の報告書を発表したことが報じられたが(朝鮮日報)、人民解放軍内部の話となると穏やかではない。北京オリンピック後を見すえた動きが表面化しつつあるのかもしれない。

 興味深いのは中国軍の越境は「国連安全保障理事会の承認が原則的には前提になるとしているが、難民流入が一刻の猶予も許さない場合は、中国が独自判断で派遣する」としている点だ。中国は旧ソ連のアフガン侵攻と違って、国際社会、特にアメリカが北朝鮮進駐を容認すると踏んでいるのだ。

 金正日が本当に核を放棄するとは思えない。北朝鮮の核問題を抜本的に解決するには韓国が北朝鮮を吸収するか、中国が保護国にするかのどちらかしかない。北朝鮮はすでに人民元経済圏にとりこまれており、中国軍がはいって核の後始末をし、親中政権を作るぐらいは朝飯前だ。その先にあるのは北朝鮮のチベット化である。北朝鮮復興には莫大な資金がかかるといわれているが、それは自国民と同じようにあつかう場合だ。保護国なら本当に復興させる必要はなく、朝鮮人人口が減っていくのを待てばいい。

 韓国の最大の貿易相手国は中国になっている。北朝鮮に中国軍がはいっても韓国には何もできないだろう。中国化した北朝鮮と統一することによって、朝鮮半島は再び中国に呑みこまれていくしかない。

 十数年後の日本は台湾的な立場に追いこまれているかもしれない。

2008年1月16日水曜日

国会図書館の電子書籍保存

 日本ペンクラブ電子文藝館委員会で国会図書館に行ってきた。電子文藝館では国会図書館のPORTAに参加することを検討していて、その説明を受けがてら電子資料室を見学させていただき、電子図書館の現状についてお話をうかがったのだ。

 今日は休館日にあたっていたが、ロビーに人がいないのは妙な感じである。検索用のパソコンにすべて電源がはいっていて、映画の一場面にはいりこんだような妙な感じだった。

 DVDやCD-ROMの付属する書籍はすべて電子資料室で閲覧するが、ビューアーをインストールする必要のあるディスクではそのつど係員がパソコンにインストールするそうである。30分くらいかかることがけっこうあって、時にはインストールできないこともあるそうだ。日経新聞のデータベースも毎回ビューアーをインストールしなければならない。サーバーに保存できないのか聞いたところ、毎回CD-ROMを読みこませる形なら納本書籍として無料で利用できるが、サーバーに保存すると別契約になり利用料金がかかるということだった。利用頻度が高いものはできるだけサーバーに蓄積する方向で考えているが、予算の関係でなかなか増やせないらしい。

 国会図書館は資料の永久保存を任務の一つとしているが、CDの劣化にどう対処しているのか聞いてみた。CDはOSの違いなどで読めなくなったものはあるが、ディスクの劣化で読めなくなったものはまだないので、緊急の課題とは考えていない。現在はフロッピーの劣化について研究をはじめたところで、CDやDVDの劣化対策は将来の課題になるということだった。

 ちなみに、今、電子資料室で一番閲覧が多いのはこの本だそうである。わざわざ国会図書館まで来てモニターをにらみながらマッサージをはじめるオバサンがいるというが、買った方が早いだろうに。


 電子図書館の現状についての話も興味深かった。電子図書館については1998年に田屋裕之氏にインタビューさせていただいたが、あれからもう十年たってしまったわけだ。

 話題は多岐にわたったが、この1月7日に日経夕刊の一面に大きく載った「国会図書館の本、全国で閲覧可能に・3000万冊をデジタル化」という記事についても聞いてみた。

 3000万冊といえば国会図書館の全蔵書である。それが「インターネットを通じて自宅やオフィスで簡単に読める」ようにするというのだから、事実だとすれば大スクープだが、他のメディアの後追い記事はない。そもそも量的に不可能だし、3000万冊の7割は著作権が活きているはずである。著作権を全否定しかねない事業に国会図書館が本当に乗りだしたのだろうか。

 案の定、そんな計画はないということだった。いかにも飛ばしくさい記事ではあったが、日経の夕刊一面に載ったので国会図書館には各方面から問い合わせがあり、当惑しているとのことであった。

 書籍デジタル化の現状はどうだろうか? 国会図書館は明治・大正期の14万3千冊を「近代デジタルライブラリー」として公開しているが、ライブラリーの対象となる蔵書は880万冊あり、わずか1.6%が完了したにすぎない。平成19年度は8100万円の予算で1万冊をデジタル化したが、20年度には1.3億円に増額し1万5千冊程度がデジタル化されるようだ。書籍のデジタル化には追い風が吹いていて予算がとりやすいそうだが、10倍20倍になるわけではない。仮に年3万冊になったとしても、近代デジタルライブラリー880万冊のデジタル化が完了するには280年かかる。3000万冊だと1000年である。万一予算が10倍に増えたとしても100年かかる計算だ。


 デジタル化に手間がかかるのはスキャンをいまだに手作業でやっていることも影響しているようだ。国会図書館には資料の永久保存という任務があるので、Googleが使っているような自動スキャン機は使えないということである。それなら本を傷めない自動スキャン機を日本の技術で独自開発すればいいと思うのだが。

 全文テキスト化についてはOCRが古い活字に対応しておらず、明治期の文献ではヒット率が90%まで落ちるということだった。そういえば、SATの『大正大蔵経』電子化では康煕字典体の活字を読むために台湾製のOCRを使っているということだった(「電子テキストの海へ」)。中国の『四庫全書』デジタル化プロジェクトでは手書きの楷書を処理できるOCRを独自開発したということだし(「「アジアの漢字と文献処理」レポート」)、韓国の『高麗大蔵経』電子化プロジェクトではサムスンの研究所が全面的にバックアップしたという。日本のIT企業は何をしているのか。

 デジタル化以上に大変なのは著作権の処理である。近代デジタルライブラリー事業を進めるにあたり、明治期の著者7万2730人を調査したところ、70%にあたる5万1千人余が生年月日不詳で著作権保護期間が終わっているかどうか確認できなかった。


保護期間完了 20,141名27.69%
保護期間中 777名 1.07%
生年月日不詳 1,712名 71.10%
処理未完了 100名 .14%

 生年月日不詳の場合、著者が日本人であれば文化庁長官の裁定により補償金を供託することで印刷制限つきのネット公開ができるようになる。補償額は一件あたり51円、利用期間は5年間である。著者が生年月日不詳の外国人の場合は文化庁長官裁定の対象外である。裁定で公開できたのは生年月日不詳者の75%である。

 文藝家協会で著作権問題を担当する三田誠広氏によれば裁定条件は緩和の方向で検討が進んでいるということだが、裁定という回り道をとおらなければならない点は変わらない。著作権保護期間の書籍のネット公開にいたっては、Googleでさえ難渋しているくらいで、どだい無理な話である。

 IT関係に飛ばし記事はつきものだが、日経は今回もまたやってくれたわけである。