2008年3月23日日曜日

ラサ騒乱

 15日、チベットのラサで「暴動」が起きたと報じられた。外国メディアを締めだす中、中国メディアは商店を襲撃したり、自動車をひっくりかえす「暴徒」の姿を映した映像を世界に配信した、温家宝首相はおりから開催中の全人代で「暴動」は「ダライ集団」によって扇動されたものであり、警察が取締にあたったが、銃は一発も発砲していないと発表した。チベット亡命政府は武装警察と軍によって百人以上が殺された声明を発したが、中国側発表では「暴動」の巻添えになって18名が犠牲になっただけだという。

 ラサを訪れていた日本人観光客が上海から緊急帰国の途についたが、空港でTVカメラを向けられると「話してはいけないと言われている」とだけ言って、逃げるように飛行機に乗りこんでいった(NHKニュース)。

 ところが日本にもどると、現地で撮影した写真やビデオ映像が出てきた(スーパーJチャンネル)。そこにはポタラ宮を睥睨する戦車や、多数の装甲車や兵士が街路を埋め尽くしているさまがはっきり映っている。彼らは銃撃や砲撃の音も聞いたと語っている。やはり中国側の発表はウソだったのである。

 日本のマスコミも信用できない。テレビ朝日のスーパーJチャンネルは旅行者が隠し撮りしてきた映像を流したものの、コメンテーターは中国側の発表は「ウソではないものの、自体を小さく小さく見せようとしている」と語っている。ウソであることを暴いた映像を流しながら、なぜ「ウソではないものの」などととりつくろうのか。

 毒餃子事件の直後だからまだ報道されている方だし、見出しも「チベット暴動」から「チベット騒乱」に変わりつつあるが、もし毒餃子事件がなかったとしたら無視の状態だったかもしれない。

 東京のTV局のおよび腰にくらべると、関西のTV局ははるかに率直である。朝日放送の「ムーブ」3月21日で青山繁晴氏がおこなったチベット問題の解説がネットで評判になっているが(1/32/33/3)、確かに説得力がある。

 青山氏によれば英米日三ヶ国の情報機関は今回の事件がラサ駐留軍の暴走で起きたという見方で一致しているという。


 中国側は「暴動」は3月15日に計画的に起こされたとしているが、実際は3月10日の中国軍の挑発が端緒となっている。今年は1959年のチベット蜂起から49年目にあたり、3月10日に平和的なデモが計画されていたが、北京の中央政府はオリンピックが控えているので、穏便な規制を駐留軍に指示していた。ところが、3月10日当日、デモの列に一台の装甲車が突進していき、参加者を多数死傷させた。ラサ各所で抗議行動がはじまるや成都軍区は最精鋭部隊をラサに派遣し、ついに15日の流血の事態にいたったというのである。

 世界的に見て「暴徒」の鎮圧に軍隊が出動するのは珍らしいことではないのに、温家宝首相は全人代で人民解放軍の関与を完全否定している。国際社会に温厚さをアピールしてきた温家宝首相にとってはイメージダウンだが、青山氏によれば温家宝首相が軍隠しをしなければならなかったのは軍が中央の指示を無視して暴走したからだという。

 ここからはわたしの推測であるが、もともと中国はチベット人をなめきっていた。1951年のチベット侵略では、チベット軍というかチベット守備隊は人民解放軍にけちらされ、たった数時間で瓦解している。ダライラマが非暴力路線をつらぬいたために、弱者の最後の武器であるテロがおこなわれることもなく、今回も丸腰で軍に立ち向かった。圧倒的な優位にたつ軍の立場からすれば、オリンピックが近づいてから騒動を起こされるより、今、挑発して叩き潰しておいた方がいいと考えたとしても不思議ではない。数日で鎮圧し、社会主義者得意の残党狩りでチベット男性を大量殺戮すれば、チベット人の混血化もさらに進むだろう。

 胡錦濤政権はもともと人民解放軍を掌握しきれておらず、基盤が脆弱だといわれてきた。江沢民派を汚職摘発の名目で一掃しようとしたものの、返り討ちに遭い、今回の全人代では司法ポストをふくむ重要ポストを江沢民派にあけわたしている。

 さて、青山氏は最後に恐ろしいことを語った。今の中国は満洲国を作った頃の日本とよく似ているというのである。確かに青蔵鉄道と北京オリンピック、一旗組のチベットへの流入は、満鉄と幻に終わった昭和15年の東京オリンピックと満洲移民熱に不思議に重なる。1930年代の日本は世界不況からの出口を求める民衆の熱狂をコントロールできずに戦争に突入していったが、中国はどうなるのだおるか。