tag:blogger.com,1999:blog-76153767540111069322024-03-09T06:20:29.375+09:00ほら貝blog「文芸ホームページ ほら貝」のblog版Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comBlogger154125tag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-18123478333952610262008-04-18T23:00:00.002+09:002009-04-09T03:40:58.877+09:00マイナーな「恐竜大陸」展タルボサウルス 幕張メッセで中日新聞社主催の「恐竜大陸」を見てきた。 昨年の夏は関東では恐龍展が一つもなかったが、名古屋ではこの「恐竜大陸」をやっていて、それが春に千葉へ来たわけである。今年の夏は新潟にいくらしい。恐龍もどさ回りをさせられて御苦労なことである。 中国とモンゴルで出土した化石が中心で、巨大な骨格模型が売物だが、アメリカ産と違い、もっさりしているというか、あまり格好良くない。多分、種の違いというより、復元した人のセンスによるものだろう。人体のプラスティネーション標本も中国製のは陰気で垢抜けなかった。 展示はポリシーがはっきりせず、ただ並べましたという印象で、もったいないと思った。学術色がまったくなく、図録もなかった。主催者側は子供相手のイベントと高をくくっているのかもしれない。最近の子供は大人よりよほど詳しいのだが。手前の小さな恐龍が羽毛恐龍インゲニア羽毛恐龍シノカリオプテリKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-2190189833293887772008-04-10T23:00:00.002+09:002009-04-09T03:11:18.510+09:00「中国」の実態を告発する国民集会 宮崎正弘氏のメールマガジンで知った「「中国」の実態を告発する国民集会」(豊島公会堂)に行ってきた。右も左も、政治集会という集まりは初めてだったが、いろいろな意味でおもしろかった。 雨だったが、一階は早々と満席で、二階にも人をいれていた。700人という主催者側発表はほぼ実数だろう。雨が降らなかったら、会場にはいりきらなかったかもしれない。 まず国歌斉唱、つづいてラサ騒乱で亡くなった人たちに黙祷をささげる。正面の日の丸といい、司会の太った人といい、なんとも香ばしい。政治集会に来たんだなあと実感する。 まず、この集会の発起人である政治評論家の加瀬秀明氏。今日はダライ・ラマ法王が日本にトランジットで立ち寄り、記者会見を開くという絶妙のタイミングだったが、加瀬氏によればまったくの偶然だという。開催を決め、会場を押さえたのは昨年11月。毒餃子事件やチベット騒乱が起こるなどと予想した人はいず、人がKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-30123307063367168512008-03-23T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:11:39.795+09:00ラサ騒乱 15日、チベットのラサで「暴動」が起きたと報じられた。外国メディアを締めだす中、中国メディアは商店を襲撃したり、自動車をひっくりかえす「暴徒」の姿を映した映像を世界に配信した、温家宝首相はおりから開催中の全人代で「暴動」は「ダライ集団」によって扇動されたものであり、警察が取締にあたったが、銃は一発も発砲していないと発表した。チベット亡命政府は武装警察と軍によって百人以上が殺された声明を発したが、中国側発表では「暴動」の巻添えになって18名が犠牲になっただけだという。 ラサを訪れていた日本人観光客が上海から緊急帰国の途についたが、空港でTVカメラを向けられると「話してはいけないと言われている」とだけ言って、逃げるように飛行機に乗りこんでいった(NHKニュース)。 ところが日本にもどると、現地で撮影した写真やビデオ映像が出てきた(スーパーJチャンネル)。そこにはポタラ宮を睥睨する戦車や、Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-78830304049086699792008-03-13T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:31:58.611+09:00NGOになったICPF ICPFシンポジュウム「情報通信政策の課題」を聴講してきた。今回はNGOとして再出発する記念ことだったが、どの話もおもしろかった。 一人目は「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」のキーマンである中村伊知哉氏で、情報通信法について語った。 情報通信法については昨年10月のICPFセミナーに総務省情報通信政局総合政策課長が登場したが、「世界最先端の制度」と自画自賛に終始し、はしゃぎすぎの印象を受けた。今回の中村伊知哉氏は役者が一枚も二枚も上で、できる人のようである。 情報通信法が言論の自由を脅かすという議論は放送業界の目くらましにすぎないから、本丸であるインフラの問題に切りこむべきだという話を遠回しに語っていた。どこまで本気かわからないが、人が集まり経済が活性化するのなら、言論の自由、大いに結構ということらしい。 二人目はこれまでICPFの代表だった池田信夫氏で、持論の電波利権Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-74624331005411683262008-03-12T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:10:30.008+09:00アメーバー化する人権擁護法案 人権擁護法案が15日にも提出されるという。もともとは行政機関による人権侵害を防ぐための法案だったが、途中から国民全体を取り締まる法案にすり変わり、人権擁護委員会という機関にほとんど制約のない捜査権をあたえている。 人権擁護委員会は警察よりも強力である。警察は法務大臣の指揮下にあり、家宅捜索をおこなうには裁判所から令状をもらう必要があるが、人権擁護委員会は形式的には法務大臣の管轄下にあるものの、独立して職務をおこなえることが明記されており、裁判所の令状なしに他人の家に立ち入り、関係書類を検査することができる。また、警察は管轄区域以外で捜査をおこなうことはできないが、人権擁護委員は自分が任命された市町村以外でも捜査等がおこなえる。 差別かどうかを決定するのも裁判所ではなく、人権擁護委員会である。そもそも法案には差別の定義が明文化されていない。人権擁護委員会が差別と断定したら、反論の余地はKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-6922716889378588842008-03-05T23:00:00.000+09:002009-04-09T02:48:49.375+09:00ビデ倫はなぜ摘発されたか 日本ペンクラブ言論表現委員会でビデ倫問題を話しあった。委員会でのレクチャーをもとにネットで調べてみたが、どうも単なる猥褻基準の問題ではなく警察利権にかかわる根の深い問題のようである。理解している範囲であらましを書いておく。 ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)は1972年に設立された自主審査団体で、映倫をモデルにし、警察OBと映画界OBを受けいれて体制をととのえた。ビデ倫未加盟メーカーの作品の摘発が相次いだので卸業界とレンタル業界に支持されるようになり、絶大な影響力をもった。だが、1990年代後半、独立系のメーカーが警察OBをむかえてつぎつぎと独自自主規制団体を作り、ビデ倫よりもゆるい基準で過激な作品を発売するようになると、ビデ倫加盟メーカーは売上を奪われるようになった。レンタル業界も非ビデ倫メーカーの作品を受けいれるようになり、ビデ倫を脱退するメーカーがあいついで加盟メーカーは150社からKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-75001793801438487942008-02-17T23:00:00.003+09:002009-04-09T03:36:37.466+09:00スペイン風邪と歴史人口学 もともと今頃は気分が沈む時期だが、今年は新型インフルエンザの報道のせいで余計鬱がひどい。 新型インフルエンザ・ウォッチング日記と高病原性鳥インフルエンザ海外報道抄訳をチェックしているが、ウィルスの人間対応が着々と進んでいるらしく、戦々恐々としている。 岡田晴恵氏の『H5N1型ウイルス襲来』が個人でできる対策を紹介していて、これを指針にメディカルマスクとN95マスク、クレベリンの備蓄をはじめている。どれも有効期限が数年あるので、無駄にはならないだろう。 さすがに食料の備蓄までは手をつけていないが、シリアル類やミネラル・ウォーターはいつもより多めに買いこんでいる。 スペイン風邪関係の本を何冊か読んでいるが、恐ろしい話ばかりである。速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』によると、日本での死者数は内務省衛生局の発表した38万5千人が一般的で、それをもとに新型インフルエンザ流行時に64Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-9443467953898609202008-02-14T23:00:00.002+09:002009-04-09T03:33:31.351+09:00タイタンと石油無機起源説 Technobahnに「土星の衛星「タイタン」は地球の石油埋蔵量を上回るエネルギー資源の宝庫」という記事がのっている。タイタンの表面にメタンやエタンの湖があることが確認されたというのだが、いくら厖大に存在しても地球に運んでこれるはずはなく、絵に描いた餅である。 しかし、この発見は別の意味で重要だ。石油の無機起源説の傍証となるからである。 石油は太古のプランクトンが地中に埋まり、高熱と高圧で液化したものだと考えられているが、それとは別に、地球形成の際に取りこまれた星間ガスが起源だという説もある。これを石油無機起源説という。 トンデモ学説のように思うかもしれないが、石油無機起源説は19世紀には有機起源説とならぶ学説としてまじめに議論されていた。20世紀になり、石油から生物の痕跡が発見されると、西側世界では下火になったが、ロシアでは有力な仮説として着々と研究が進められ、古細菌と地底生物圏のKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-71675052824675072522008-01-21T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:23:53.707+09:00北朝鮮はチベット化するだろう 北朝鮮有事の際、中国が北朝鮮に軍の派遣を検討していることが中国人民解放軍内部で検討されているという記事が読売に出た。 中国軍の北朝鮮進駐の可能性は本欄でたびたび指摘してきたし、最近も米国戦略問題研究所(CSIS)と平和研究所(USIP)が共同で同趣旨の報告書を発表したことが報じられたが(朝鮮日報)、人民解放軍内部の話となると穏やかではない。北京オリンピック後を見すえた動きが表面化しつつあるのかもしれない。 興味深いのは中国軍の越境は「国連安全保障理事会の承認が原則的には前提になるとしているが、難民流入が一刻の猶予も許さない場合は、中国が独自判断で派遣する」としている点だ。中国は旧ソ連のアフガン侵攻と違って、国際社会、特にアメリカが北朝鮮進駐を容認すると踏んでいるのだ。 金正日が本当に核を放棄するとは思えない。北朝鮮の核問題を抜本的に解決するには韓国が北朝鮮を吸収するか、中国が保護国にKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-86500158843854383242008-01-16T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:20:56.844+09:00国会図書館の電子書籍保存 日本ペンクラブ電子文藝館委員会で国会図書館に行ってきた。電子文藝館では国会図書館のPORTAに参加することを検討していて、その説明を受けがてら電子資料室を見学させていただき、電子図書館の現状についてお話をうかがったのだ。 今日は休館日にあたっていたが、ロビーに人がいないのは妙な感じである。検索用のパソコンにすべて電源がはいっていて、映画の一場面にはいりこんだような妙な感じだった。 DVDやCD-ROMの付属する書籍はすべて電子資料室で閲覧するが、ビューアーをインストールする必要のあるディスクではそのつど係員がパソコンにインストールするそうである。30分くらいかかることがけっこうあって、時にはインストールできないこともあるそうだ。日経新聞のデータベースも毎回ビューアーをインストールしなければならない。サーバーに保存できないのか聞いたところ、毎回CD-ROMを読みこませる形なら納本書籍Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-45806321617404143972008-01-13T23:00:00.002+09:002009-04-09T03:34:30.925+09:00NHKの新型インフルエンザ特番 NHKは昨日と今日、二夜連続で新型インフルエンザの大流行(パンデミック)をテーマにした「最強ウィルス」を放映した。一夜目はシミュレーション・ドラマ「パンデミック・フルー~感染爆発」で、北朝鮮とおぼしい国で新型インフルエンザの大流行が起こり、舟で逃げてきた男から日本海岸の与田村という漁村で感染が拡がるという設定だった。 政府には新型インフルエンザを想定した行動計画があったが、権限問題で小田原評定をつづけ、やっと村を封鎖したものの、時すでに遅く、産廃の不法投棄で村に来た青年が東京にもどってしまう。青年はワーキングプアで、健康保険がないために医者にかかれないままどんどん感染を広げていく。そして、首都圏で感染爆発がはじまる。 感染が拡大しているのに、役人は小田原評定をつづけるだけに何もしない。WHOが最悪のフェイズ6を勧告し、首相が非常事態宣言をしてようやく動きだすが、もう手のほどこしようがKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-25585007894203459502008-01-06T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:13:57.913+09:00キッシンジャーの年頭予測 「日高義樹ワシントン・リポート」で新春恒例の「キッシンジャー博士の十の予測」をやっていた。例年たいしたことは言わないが、今年は中国関係の楽観的な見通しが目についた。北京五輪後のバブル崩壊はなく、民族主義の暴発もないと断言したのである。 ロシアに対しても好意的な見方をしていた。プーチンは新たなナショナル・アイデンティティをロシア国民にあたえようとしているだけで、第二の冷戦をはじめるつもりはない。ロシアは石油を武器に使っているが、それは産油国ならどこでもやっていることだ。石油はいつかは売らなければならないし、買い手に信頼されるためには安定供給をせざるをえないというわけだ。 ロシア擁護論には一応説得力があるが、中国楽観論の方は眉に唾をつけて聞いておいた方がいい。不動産バブルが膨らむところまで膨らんでいるし、サブプライム・ローン問題が長引いて国際金融が不安定になっている。地域格差や都市部の貧富Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-46522154046087877392008-01-04T23:00:00.001+09:002009-04-09T03:12:27.587+09:00民主党のネット規制法案 新年早々きなくさいニュースが流れている。民主党が有害サイトの削除をプロバイダに義務づける法案を準備しているというのだ(日経)。記事から引く。 検討中の法案では、サイト開設者やプロバイダーは違法情報を発見し次第、削除しなくてはならないと規定。違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合は児童が閲覧できなくなるような措置を講じるよう義務付ける。罰則を設けることも視野に入れる。 若者保護を前面に押し立て、自殺勧誘、出会い系、児童ポルノとならべているが、「違法かどうか明確でなくとも、有害な恐れがある場合」も規制対象とするという。こういう曖昧な規制は役人に悪用されかねないし、すくなくともプロバイダの過剰な自己規制をまねく。 近年、マイノリティ利権の一部が明るみに出て、都市伝説あつかいされていた在日利権が事実だったことがわかった。やっとおかしいことをおかしいと言えるようになったのに、こんな法律Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-88069872787699915442007-11-05T23:20:00.000+09:002008-01-04T10:48:11.606+09:00「それでも生きる子供たちへ」 ユニセフと国連世界食糧計画が後援した子供をテーマにしたオムニバスで、ルワンダ、セルビア・モンテネグロ、アメリカ、ブラジル、英国、イタリア、中国の七ヶ国の監督が参加している。どれも可哀想な子供の話だが、淡々とした語り口だけに余韻が残る。 メディ・カレフの「タンザ」はルワンダの少年兵の話。大きな銃を脇にジャングルを書きわけて進む少年兵たちの眼光の鋭さにたじろぐ。この小隊ができて二年たつが、最初のメンバーは隊長とタンザしか生き残っていない。少年兵は使い捨てなのだ。 小隊は敵の村に時限爆弾をしかける任務を命じられ、少年兵たちは爆弾のはいったバッグを下げて村に侵入する。タンザも受け持ちの建物に忍びこむが、そこは小学校だった。爆弾をしかけることを忘れて黒板を見つめるタンザ。 エミール・クストリッツァの「ブルー・ジプシー」は得意のロマもの。少年院にはいっているマルヤンは出所が迫っているのに浮かない顔Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-20373854156580600722007-11-05T23:00:00.000+09:002007-12-28T04:37:52.557+09:00「ツォツィ」 アソル・フガードという南アフリカの劇作家の同題の小説をギャヴィン・フッド監督が映画化。南アフリカの映画ははじめて見た。 ヨハネスブルクの悪名高いスラム、ソウェト地区で育ったツォツィと呼ばれる青年が主人公である。ツォツィとはならず者という意味のよし。最初に通勤電車で実行される情け容赦のない犯行が描かれるが、かっこのつけ方がわざとらしいというか、一昔前の日活映画に似ている。 ツォツィは次に裕福そうな若い黒人女性の運転するBMVを狙う。豪邸の門を開けるために降りたところを襲い、乗り逃げしようとするが、女性が追ってきたので銃弾を浴びせて殺してしまう。 彼女が車に追いすがったのは赤ん坊が中で寝ているからだった。ツォツィは赤ん坊は殺せず、いっしょに連れて逃げまわることになる。 映画の作り方としては古風で鼻白む部分があるが、直球勝負のよさがある。音楽の迫力は特筆もの。公式サイトAmazonKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-78018669546019146862007-11-03T23:00:00.000+09:002007-12-26T13:22:13.556+09:00「ベルト・モリゾ展」 損保ジャパン東郷青児美術館でベルト・モリゾ展を見た。すばらしかった。 ベルト・モリゾはマネの女弟子で、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」など名画のモデルをつとめたことでも有名だが、近年になってもっとも印象派らしい印象派として再評価が著しい。日本では昨年ようやく画集が出版されたところで、大規模な展覧会としてはこれが最初である。なお、画集は一冊だけなのに、評伝はドミニク・ボナの『黒衣の女ベルト・モリゾ』と坂上桂子の『ベルト・モリゾ―ある女性画家の生きた近代』の二冊が出ている。作品よりも人物に対する興味が先行している段階のようである。 彼女はマネの弟のウジェーヌと結婚し、ジュリーという娘をもうけているが、ジュリーを描いた絵が柱となっており、赤ん坊の頃から成人するまで、ほぼ成長を追って展示されていた。母になる前の絵はところどころ才気走ってはいるが、それほどおもしろくない。彼女の才能がKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-51631501616842830302007-11-02T23:00:00.000+09:002007-12-26T12:10:06.356+09:00「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」 社会現象にまでなったTVシリーズを4本の劇場用映画に作り直すシリーズの一本目である。台本はもちろん、カット割りまで忠実に再現しているよし。21世紀の話なのにテープ式のウォークマンだったり、携帯電話ではなく公衆電話だったりする部分もそのままになっていて、十年という時間を感じさせる。 「ヱヴァンゲリヲン」は再放送を録画したりして何度か見ようと試みたが、数回分見ただけだった。学園もの的部分が鼻について、はいりこめなかったのだ。 映画館という逃げ場のない場所で見れば、いやでも見通すことになるので見てみたが、若い人に受けるように上手く作られていることがわかった。思春期の危ない部分をスパイスに使うとか、よく出来ているとは思うが、学園もの的な趣向にどうしても異和感を感じる。若い人にはそこがたまらないのだろうが。Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-27471502542414131112007-11-01T23:00:00.000+09:002007-12-19T04:30:53.411+09:00「スターダスト」 ニール・ゲイマンが1997年に発表した同題のファンタジーをマシュー・ヴォーンが映画化。 映画ファン感謝デーなので、一番すいてそうなこれを見たが、意外によかった。ありきたりのファンタジーではあるが、豪華キャストだし、特撮はよくできているし、もっと評判になってもいい映画だと思う。 ウォール村の青年トリスタン(チャーリー・コックス)は魔法の国ストームホールドの王女と人間の男の間の子供だったが、自分が高貴な生まれだとは知らず、村一番の美女のヴィクトリア(シエナ・ミラー)に恋していた。ヴィクトリアは金持の息子の方に気があり、トリスタンなど眼中にないが、彼は愛を示すために、ちょうど地上に落ちてきた流れ星を結婚指輪の代わりに一週間以内に持ってくると誓い、村はずれの壁を越えて妖精の国に旅だっていく。 おりしもストームホールドでは王(ピーター・オトゥール)が亡くなり、トリスタンにとっては伯父にあたる七人Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-43150269272134271162007-10-31T23:00:00.000+09:002007-12-17T11:32:18.156+09:00「自虐の詩」 業田良家の漫画を堤幸彦が映画化。「自虐」は「あい」とも読む。 非現実的なくらい不幸な女性を中谷美紀がまたもコミカルに演じていて、『嫌われ松子の一生』と完全にかぶっている。中谷美紀はマゾなのかと疑いたくなるが、映画としてはこちらの方が格段におもしろい。堤幸彦作品の中でも一番いい(というか、はじめておもしろいと思った)。 物語は幸江の中校時代からはじまる。幸江は貧しい家計を助けるために新聞配達をしていたが、家にもどってみると警察の車が。父親(西田敏行)がまぬけな銀行強盗をやって逮捕されたのだ。犯罪者の娘になってしまった幸江は気仙沼にいられなくなり、唯一の親友である熊本さんに見送られて上京する。 十数年後、幸江は元ヤクザのイサオ(阿部寛)と、大阪の通天閣の見える下町で暮らしている。イサオはパチンコ三昧で働かず、気にいらないことがあるとすぐに卓袱台をひっくりかえす。幸江はラーメン屋でアルバイトKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-25833240709576192902007-10-30T23:00:00.000+09:002007-12-17T11:40:47.934+09:00「たとえば野に咲く花のように」 新国立劇場中劇場で鄭義信作、鈴木裕美演出の「たとえば野に咲く花のように」を見た。 新国立劇場は今年7月、芸術監督が栗山民也から鵜山仁に交代したのを機に「三つの悲劇」と題して、ギリシャ悲劇を現代日本に翻案した新作三本を上演する。「たとえば野に咲く花のように」はその第二作にあたる。 舞台は1951年夏の九州の場末のダンスホール。下手に玄関。中央下手寄りに大きな階段。上手寄りにバーのカウンター。上手には窓が大きく切られている。二階はダンサーたちの個室で、そこで客をとるようになっている。 港町という設定で、町は朝鮮戦争特需で景気がいいが、表通りに特需成金の安部康雄(永島敏行)が立派なダンスホールを開店したので、こちらは閑古鳥が鳴いている。ダンサーは三人に減り、マザコン気味の自衛隊員など、常連にたよって細々と営業している。 ヒロインの安満喜(七瀬なつみ)は弟と二人暮らしだが、弟は戦時中、憲兵だっKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-71601674563681582682007-10-25T23:00:00.000+09:002007-12-14T11:59:31.579+09:00情報通信法、官の言い分 ICPFセミナー「通信・放送の総合的な法体系を目指して」を聴講してきた。講師は情報通信法を担当する総務省情報通信政策局総合政策課長の鈴木茂樹氏で、やる気むんむんというか、50年に一度の大改革を手がける喜びに舞いあがっている印象を受けた。制度をゼロから設計する機会にめぐりあえたのは役人冥利に尽きるといったところか。 鈴木氏は情報通信法はあくまでもIT産業振興のための規制緩和であり、新たな規制でしばろうとするものではないと熱弁をふるった。レイヤー型法体系という世界最先端の法体系を整備することで日本のIT産業が復活すれば、他の国も日本に倣うようになり、いち早くレイヤー型法体系に慣れた日本企業の国際競争力が高まるとも説いていた。ほとんど新制度のセールスマンである。 講演の部分はどこかで読んだような話ばかりで新味はなかったが、質疑応答はおもしろかった。 まず、資料中の怪しげな数字に突っこみがはいKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-43839795756088364282007-10-24T23:20:00.000+09:002007-12-11T14:04:09.398+09:00「毛皮のエロス」 女流写真家ダイアン・アーバスの生涯を題材に、勝手な妄想をくりひろげた贋伝記映画である。パトリシア・ボズワースの『炎のごとく―写真家ダイアン・アーバス』が原作ということになってはいるが、半分以上はフィクションといっていい。 ダイアン(作中では「ディアン」と発音)は百貨店主の娘として生まれて何不自由なく育ち、ファッション写真家のアラン(タイ・バーレル)と結婚してからは撮影のアシスタントをつとめ、二人の娘を育てるという、健全きわまりないアメリカ女性だった。 しかし、良妻賢母の生活だけではエネルギーをもてあまし、彼女はしだいに気鬱に陥っていった。 そんな時、一つ上の階にライオネル(ロバート・ダウニーJr)という謎の男が越してくる。夏なのにコートを着こみ、目出し帽のようなマスクをかぶり、こっそり出入する。しかも、奇型の客が人目を避けてしょっちゅう訪問しているらしい。 彼女はライオネルの正体をさKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-88335310143053169342007-10-24T23:00:00.000+09:002007-12-07T10:59:11.003+09:00「ボッスン・ナップ」 黒人英語で娼婦の元締のことを「ピンプ」というが、そのピンプの一代記である。主演のスヌープ・ドッグはラップ界のスーパースターだそうである。ラップはまったくわからないが、この映画はおもしろい。 コーデー(ドッグ)はしがないスーパーの店員だったが、なぜか女にはもてた。ある日、オレンジ・ジュース(ホーソーン・ジェームズ)という高名なピンプが豪華なリムジンを乗りつけてきてコーデーを招ききれ、お前にはピンプの才能がある、これはという女を見つけたら力になってやってもいいと申しでる。 コーデーはシャルドネ(シラエ・アンダーソン)という上玉の女と出会い、ピンプになる決心をする。オレンジ・ジュースの教えを忠実に守り、かかえる娼婦をどんどん増やして業界の注目を集め、ピンプの全米大会でその年の最優秀ピンプに選ばれるまでになる。 成功とともに慢心が生まれる。女に本気で惚れるなというオレンジ・ジュースの教えを破りKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-33630137738983158842007-10-23T23:30:00.000+09:002007-12-04T14:56:17.255+09:00「NARA:奈良美智との旅の記録」 不機嫌な少女像でおなじみの画家、奈良美智のドキュメンタリーで、2005年6月のソウルの個展から2006年7-10月に青森県弘前市で開催された「A to Z」展にいたる500日間を追っている。この間に奈良は横浜、ニューヨーク、大阪、ロンドン、バンコクで個展を開き、さらにアトリエを引っ越している。 アトリエといっても、陽光の燦々とはいるアトリエを想像してはいけない。ニューヨークのアーティストが使っているようなだだっ広い倉庫ともちがう。商店街の空き店舗を借りているらしく、出入り口は引きあげ式のシャッターだ。壁は広いが、雑然としている。外光ははいらず、しけた蛍光灯をつけて仕事をしている。 村上隆のアトリエを紹介したTVを見たことがあるが、助手がたくさんいて工務店の作業場みたいに活気があった。村上隆は中小企業の社長のように貫禄たっぷりだったが、奈良は一人だけで刷毛を動かし、しばしば考えこみ、学生Kato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7615376754011106932.post-85951484194894119682007-10-23T23:00:00.000+09:002007-12-04T14:55:22.203+09:00「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」 建築家フランク・ゲーリーのドキュメンタリーで、親友のシドニー・ポラック監督が自らビデオカメラをまわしているが、映画館で見るほどの出来ではなかった。 フランク・ゲーリーが何者か知識なしに見たが、助手に指示して紙で模型を作らせ、それを修正させていく。修正も自分で手を出すことはめったになく、言葉で指示して助手にやらせている。大家だから自分で図面を引くことはないと思っていたが、なにからなにまで助手まかせだった。 紹介されるゲーリーの建築はどれも変わった形をしているが、若い頃は当然、仕事の依頼がなく、運転手をやって糊口をしのいだり、突飛な自宅を設計してアピールしたりといろいろあったようだ。ゲーリーの建築を愛するというセレブたちがインタビューに答えているが、みな俗臭芬々である。建築という世界は俗っぽくなくてはやっていけないのだろう。公式サイトAmazonKato Koitihttp://www.blogger.com/profile/05861107474935345009noreply@blogger.com