『僕はパパを殺すことに決めた』
草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた』を読んだ。
本書は2006年6月20日に起きた「奈良エリート少年自宅放火事件」を取材した本だが、供述調書を生な形で引用したために法務省の東京法務局長が異例の謝罪勧告を出している。
一年前とはいえ、少年による残虐な事件がつづいているので、どんな事件か忘れている方もすくなくないだろう(わたしも忘れていた)。まず、あらましを要約しておく。
事件を起こした少年は奈良の進学校に通う高校二年生(当時)。実母は離婚しており、当時は父親と後妻、後妻の産んだ弟妹の五人暮らしだった。父親も義母もともに医師で、少年も父親から医師になることを強く期待されていた。
事件の日、父親は当直で不在だったが、少年は一階にサラダ油を二瓶撒いて火をつけてから家出する。家はたちまち炎上し、二階に寝ていた義理の母と弟妹が焼死している。
少年はわずか三千円の所持金で京都に逃げ、野宿をして一日すごすが、翌日の深夜、空腹から民家にはいりこみ勝手に飲食。朝になって家人に見つかり逃走、近くで保護された。
父親の不在中に義母と弟妹を焼死させたこと、義母の顔に打撲痕があったことから、当初、義母に対する怨みによる犯行という憶測が広まった。
しかし、打撲痕は死後、家の倒壊でできたものだったし、少年は義母の関係はよかったという証言があいつぐ。少年は義母の実家をたびたび訪れ、義母の両親を実の祖父母のように慕っていたが明らかになっている。
なぜ少年は犯行を犯したのか。
本書は少年の生育の過程を少年と父親の供述調書を引用してたどっているが、父親はにわかには信じられないような暴力を幼児期から少年に対して継続的にくわえていた。父親的には息子を医者にするための愛の鞭だが、第三者的には教育熱心の域を越えており、強迫的というか、ほとんどマンガであって、正常な人間のやることとは思えない。
父方、母方両方とも医師と薬剤師の一族で、実母と父方の祖母も薬剤師だそうである。父親はその中で二流の私大卒で、金の力で医者になったというコンプレックスがあったと、実母が語っている。しかし、そうした事情をさしひいても、この父親のやっていたことは尋常ではない。
少年の供述だけだったら信じられないようなことが書かれているが、担任教師と父方の祖母は少年が暴力を受けていることを知っていた。父親も体罰で怪我をさせたことがることを認めている(本人は異常性に気づいていない)。少年が異様な父子関係のもとで育ち、父親に対して激しい恐怖と憎悪をいだいていたことは事実と考えていいだろう。ごく簡単な記述だが、父親自身虐待されて育ったことが父方の祖母の供述からうかがえる。虐待の連鎖があったらしい。
しかし、犯行は父親の不在中に決行された。父親に対する恐怖と憎悪が動機だとしたら矛盾していまいか。
この疑問に精神鑑定人は「広範性発達障害」(アスペルガー症候群)というい答えを出している。家裁はこの鑑定を支持し少年の処遇を決めた。著者である草薙氏厚子も思わせぶりな謎でひっぱった後、最後に「広範性発達障害」を水戸黄門の印籠のように持ちだしている。
「広範性発達障害」で片づくのだとしたら、一家族のプライバシーをここまで暴く必要があったかどうか疑問である。
だが、「広範性発達障害」という診断で、この事件は解決したのだろうか。
わたしが調書から感じたのはシュレーバー症例との類似性である。調書はあくまで調査官の作文であり、内面描写の部分は調査官の想像でしかない。本書に引用された供述も小説的にきれいに整理されており、ピエール・リヴィエールの手記とは似て非なるものだ。しかし、そうはいっても、供述調書には「広範性発達障害」で片づけようという調査官の思惑をこえた部分がそこかしこにのぞいている。
少年はシュレーバーのような妄想世界に住んでいたわけではないらしいし、分裂病の徴候があったわけでもないようだが、彼の生育歴は『魂の殺害者』に描かれたシュレーバーの生育歴と二重写しになって見えた。
本書は「広範性発達障害」という家裁決定を支持する立場で書かれているが、供述調書の引用ははからずも「広範性発達障害」では説明できない現実をあぶりだしたと思う。