2007年8月15日水曜日

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」朝鮮半島編

 「仏教への旅」第2回は「朝鮮半島編」となっているが、仏教の取材で北朝鮮にはいれるはずはなく、もっぱら韓国の話題だった。本は『21世紀 仏教への旅 朝鮮半島編』が刊行されている。
 番組は以下の三つのテーマが柱となっていた。

  • 五木自身のセンチメンタル・ジャーニー
  • 韓国の若者の間に広がる仏教熱
  • 華厳経中心に形成された朝鮮仏教

 朝鮮仏教が華厳経を選んだ理由は前から気になっていた。それは日本仏教がなぜ法華経を選んだのかと問うことでもある。
 番組では「華厳縁起絵巻」で日本でも知られている義湘と善妙の悲恋物語を紹介し、義湘の開いた皇龍寺の祠に残る善妙のあでやかな塑像を映した。華厳経学を大成した学問僧がこんな形で民衆に慕われつづけていたわけである。
 五木は朝鮮民族のネアカな気質が華厳経の前向きの世界観と合っていたと語っていたが、このあたり、よくわからない。
 日本仏教で法華経が重きをなすにいたったのは、最澄が比叡山に天台宗の拠点をつくったことが大きい。華厳教学は奈良の官寺にとどまったが、比叡山で天台を学んだ鎌倉仏教の祖師たちは法華経を出発的に思想をねりあげ、民衆の中へ出ていった。
 もちろん、法華経の思想を発展させた新仏教が日本の民衆に歓迎されたのは、法華経が日本人の心の琴線にふれたからだろう。今でも法華経に関する一般向けの本は膨大な数が出ているし、文学者が仏教にかかわる場合は法華経か親鸞のどちらかである。華厳経をとりあげた文学者というと、石川淳と岡本かの子くらいしか思いつかない。石川の場合、根が朱子学なので、華厳経の世界観と近かったということがある。
 もっとも、禅宗は華厳だという見方があるし、真言密教は華厳と近いともいわれている。日本にも華厳経の世界観ははいっていないわけではないが、法華経と較べると影が薄い。
 華厳経になくて法華経にあるのは排他主義だと思う。法華経は法華経のみを崇めることをもとめており、異端者に対して厳しい。仏教で異端を問題にするのは法華経くらいなもので、その点はキリスト教なみである。吉利支丹に対してもっとも戦闘的だったのは法華宗だった。
 浄土真宗もキリスト教なみに戦闘的だったが、信長に牙を抜かれ、家康に飼いならされてしまった。法華宗も信長にたたきのめされたものの、法華経という牙はたもちつづけ、江戸時代には吉利支丹なみに弾圧された不受不施派を生んだ。明治以降、仏教系新興宗教の母胎となったのは法華経だった。
 韓国の場合、新興宗教の母胎となったのはキリスト教だった。韓国のキリスト教信者の大半は、実際にはキリスト教系新興宗教の信者のようである。
 近代化が進むと、激烈な宗教感情を必要とする人が増えてくる。あてずっぽうだが、激烈な宗教感情をもちたい人は日本では法華経系の新興宗教にはいり、韓国ではキリスト教系新興宗教にはいるということではないか。日本におけるキリスト教の最大のライバルは今も昔も法華経なのかもしれない。