2007年10月21日日曜日

「日本SFの50年」

 NHKのETV特集で「日本SFの50年」が放映された。50年というのは「宇宙塵」創刊から50年なのであるが、日本SF作家クラブの活動を中心にしていた。
 番組は福島正実=石川喬司が原型を作った日本SF史をなぞる形で進行したが、最初の場面は故大伴昌司氏の旧宅だった(書斎が生前そのままに保存されている!)。
 大伴昌司氏は「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の企画に係わったオタク文化の父ともいえる人である。大伴氏の仕事は多岐にわたるが、中でも少年サンデーの巻頭二色ページを飾った怪獣の解剖図鑑は人気を博し、最近も復刻版が出ている。亡くなったのは1973年だが、荒俣宏の『奇っ怪紳士録』にとりあげられたり、『OHの肖像』という評伝が出ていたりするので、若い人の間でも知られているだろう。
 番組はアニメやマンガ、ゲームなど、世界を席巻する日本のオタク文化の形成にSF作家たちがどのように係わったかをテーマにしていたから、大伴氏に注目したのは正解だが、SF作家が小説以外の分野に向かったのは文壇で無視されたのが一因だった。「士農工商犬SF」とは当時のSF人の自嘲まじりの口癖だった。SF作家のホームグラウンドはSFマガジンであり、星新一を別にすると単行本は早川書房からしか出せない時代があったのである。
 それだけにSF作家クラブは強く団結していた。わたしがSFマガジンを買いはじめたのは1967年からだったが、SF作家クラブの動向がよく載ったし、SFが「迫害」される事例があると、福島正実がすかさず「日記」に被害者意識まるだしの反論を書いたものだった。
 SF作家の団結が頂点をむかえたのは1970年の大阪万博にあわせて開催された「国際SFシンポジュウム」だった。わたしは当時、高校生だったが、科学技術館ホールで開かれたイベントにいき、生クラークや生メリルの挨拶を聞き、野田大元帥演出のブラッドベリの詩の朗読に晴れがましい気持ちになった。万博の企画にSF作家が動員されたということもあるが、設立からわずか7年のSF作家クラブによくあれだけのシンポジュウムが開けたものである。
 その後に「拡散と浸透」の時代がくる。万博を通じて社会的地歩をえたSF作家たちは肩を寄せあう必要なくなり、夫々独自の道を歩みだしたわけだ。
 筒井康隆氏が威信をかけて開いた1974年の神戸SF大会にはワセダミステリクラブの仲間たちとともに参加したが、その時のテーマが「SF、その拡散と浸透」だった。当時は「SFの危機」と大真面目に考えられていたが、今にして思えば、手塩にかけて育てた作家が大出版社に流出したという「早川書房の危機」にすぎなかった。
 今回の番組は基本的に福島正実=石川喬司のハヤカワ史観をなぞっていたが、大伴昌司氏というもう一つの軸を設定したことで、ハヤカワ史観では見えなかったSF作家たちの小説以外の活動に光をあてていたことは評価したい。