『電脳社会の日本語』が絶版に
文藝春秋社から『電脳社会の日本語』を10月いっぱいで絶版にするという連絡が来た。
在庫数を見たところ、予想より1桁すくなかった。千部か二千部売れ残っているだろうと思っていたが、発行部数の1%未満しか残っておらず、ほとんど売れたことになる。
この本は営業部が売れると勘違いしてくれたおかげで、通常の部数よりかなり多く刷ったが、文字コードなどというディープなテーマが文春新書の読者層とあうはずはなく、最初の一ヶ月は惨憺たる売行だった。その後、中村正三郎氏が褒めてくださったおかげで最悪の結果はまぬがれることができたが、決して売れた本ではない。
7年かかって売りきったのならめでたいことであるが、途中で在庫の圧縮がおこなわれた可能性もなくはない。聞けばわかるが、こういうことは気にはなっても知りたくはないものだ。
まる5年かけて書いた本だけに、いくばくかの感慨はある。文字コードという泥沼のような問題にはまりこんで悪戦苦闘し、いい出会い、悪い出会い、いろいろあったが、最大の収穫は文字の記録が当てにならないことを知ったことだ。本当のことは文書には書かれず、闇から闇に消えていっているのだ(わたし自身、すべてを書いたわけではない。できるだけ暗示しようとはしたが)。
そんなこと当たり前じゃないかと思うかもしれないが、書かれたものがすべてというテキスト派の文藝批評をやってきた人間にとっては得がたい経験だった。
12月にはいったら、いよいよ裁断処分らしい。しばらくは流通在庫があると思うが、今調べたらAmazonで3冊、紀伊國屋書店全店で3冊、ジュンク堂で1冊だった。7年前の本だから、在庫もこんなものか。
興味のある人はお早めに。