翻訳ははかない
来月はお盆があることでもあるし、『仙波龍英歌集』が出た機会に、生前存じあげていた方々の遺著特集を「書評空間」でやろうと思ったが、SF翻訳勉強会で親しくしていただいた矢野徹さん、黒丸尚さん、野口幸夫さんの御著書の大部分が入手不可になっていることがわかり呆然とした。
ロシア東欧圏のSFという特殊な分野で活躍しておられた深見弾さんはレムの『天の声』、『ロシア・ソビエトSF傑作集』、『東欧SF傑作集』が生き残っている。山高昭さんはクラークというビッグ・ネームを訳しておられたので『楽園の泉』、『2061年宇宙の旅』、『天の向こう側』などが現役である。
今、著作権の死後70年延長問題で侃々諤々の議論をやっているが、翻訳のなんとはかないことか。いや、はかないのは翻訳に限らないけれども。
翻訳を後世に残すには、深見さんのように特殊な分野を訳すか、山高さんのように古典として読みつがれそうな作品をやるしかないらしい。
ただし、あまりにも有名な作品だと、新訳がでて埋もれてしまう危険性がある。後世まで確実に自分の訳書を残すには、森鷗外や永井荷風のように、自分自身が古典を書くしかないのだろう。