2007年7月17日火曜日

「しとやかな獣」

 詐欺師同然の暮らしをつづける一家を描いたブラック・コメディ。川島雄三の最高傑作という人が多いが、今見ると微妙である。ギャグが古くなってしまっているのである。
 公団住宅をベランダ側正面からとらえた映像ではじまる。前田家の父親(伊藤雄之助)と母親(山岡久乃)が居間から隣の部屋にガラクタを運んでいる。いや、ガラクタではない。今の感覚ではガラクタだが、1962年当時は憧れの贅沢品で、公団住宅には似つかわしくないものばかりだ。
 前田夫妻が贅沢品を隠したのは息子の稔(川畑愛光)がつとめる芸能プロダクションの香取社長(高松英郎)が家に来るからだ。貧乏しているように見せかけるために、わざわざみすぼらしい格好に着替えている。
 稔は会社の金の横領し、姿をくらましていた。香取社長は歌手のピノ作(小沢昭一)と経理の由紀江(若尾文子)をつれてあらわれ、告訴も辞さないと脅しをかけるが、元海軍中佐だったという父親と、山の手の奥さま然ととした母親はのらりくらい言い抜けて、三人を追いかえしてしまう。
 三人と入れ違いに稔が帰ってきて、横領した金の半分を家に入れていたことがわかる。そこにさらに娘の知子(浜田ゆう子)が帰ってくる。彼女は流行作家の吉沢(山茶花究)の愛人で、喧嘩をして出てきたが、両親は知子に吉沢の所へ帰れとしきりに勧める。実はこの公団住宅は吉沢が彼女を住まわせるために借りたものだったが、前田一家が勝手に住みついていた。しかも、吉沢の出すお手当ての一部が一家の生活費になっていた。
 稔は吉沢からもたかっていた。銀座のバーを吉沢のツケで飲み歩いただけではなく、吉沢の代理と称して出版社から原稿料を横領していたのだ。芳澤は怒鳴りこんでくるが、稔はモデル料だと称して平気な顔をしている。
 しかし、稔の横領した金の半分はどこに消えたのか? 謎は経理の由紀江が一人で訪ねてきたことで解ける。彼女は横領の黒幕は自分であること、会社は脱税をしているので事件を公にできないこと、税務署職員(船越英二)も共犯なので、自殺者が出ない限り心配ないことを告げる。由紀江は帳簿操作もやっていて、相当な金額を横領していた。彼女は旅館が完成したので会社を辞め、稔とも縁切りだといって、虫も殺さぬ顔で帰っていく。さしもの前田夫妻もあっけにとられる。
 由紀江の計画はすべてうまくいくかに思われたが、最後の最後にどんでん返しがある。
 前田一家と由紀江のしたたかなワルぶりの背後には敗戦による崩壊感覚がある。前田の父は海軍のエリートだったし、由紀江も戦前はいい暮らしをしていたらしい。しかし、敗戦ですべてを失い、どん底の生活を経験した。どん底からはいあがるために、高度経済成長であぶく銭のはいりだした芸能プロダクションと流行作家から上前をはねたのだ。それを痛快と感じた人が多かったようだが、悲惨なのは子供に悪事をさせたことを正当化する父のせりふだ。彼は自分の世代が悪事をはたらくと世間から袋叩きにあうが、アプレゲール世代の子供たちなら、世間は大目に見てくれると言っているのである。由紀江の泰然自若ぶりもそうだが、この映画は光クラブ事件にも通ずる敗戦ニヒリズムの産物である。
 中産階級の残骸をしゃらっと演じた伊藤雄之助と山岡久乃の演技は絶妙だが、いかんせんギャグがくどく、辟易する。笑いの感覚はすぐに古びてしまうらしい。
 その中で、唯一、新鮮だったのは若尾文子の登場場面だ。ファンということを抜きにしても、彼女のあでやかな悪女ぶりは普遍性をもっており、今見ても惚れ惚れする。