2007年7月10日火曜日

「雁の寺」

 水上勉の直木賞受賞作を川島雄三が若尾文子主演で映画化したもので、川島作品の中でもベスト三の一つにあげられることが多いが、確かにこれは傑作である。
 原作は禅寺の内情を描いた怨念ドロドロの話でいい印象がなかったが、映像になってみると、突きはなして描かれた生臭坊主の生態がおのずと滑稽感を生んでおり、世界が一回りも二回りも広がっている。行方不明になった住職を「托鉢に出た」で片づける結末は原作では納得できなかったが、映画版でとぼけた顔の老管長が「ほっとけ、ほっとけ」と言うのを見て、これが禅寺かと思った。
 物語は孤峰庵の一室を借りて画室にしている日本画家の岸本南嶽(中村鴈治郎)のもとに里子(若尾文子)が通い、世話をしている場面からはじまる。やがて南嶽は死に、線香をあげに訪れた里子を住職の慈海(三島雅夫)が手籠めにして、そのまま内妻にしてしまう。手籠めにする場面の前に、便所の汲みとりを延々見せるリアリズムが効いている。
 孤峰庵には慈念(高見国一)という小僧がいて、慈海にこき使われていたが、里子は彼を不憫がり親切にしてくれる。里子は慈念を孤峰庵に世話した若狭の僧から彼の不幸な生い立ちを知り、いよいよ同情を深くする。慈海が留守の夜、里子は慈念の部屋にゆき、拒もうとする慈念と強引に関係を結んでしまう。里子は淫乱なのではなく、体をあたえることでしか男と親しくなる術を知らないのだ。その直後、同輩の寺に碁を打ちに行くといって出た慈海は行方不明になる……。
 モノクロームの緊張した画面の中で、全盛期の若尾文子のエロティシズムが馥郁と薫る。誤って紐を引いたために寝室に駆けつけた慈念を追いかえした後、若尾が寝乱れたダブルベッドの上で身体の前を隠し、「うち、見られてしもた……」と呟く場面は日本映画史上屈指のエロチックな場面だろう。
 すばらしい作品だが、最後の観光寺院化した現在の孤峰庵をカラーで出したのは蛇足だったと思う。