2007年7月21日土曜日

同業者としての宮本顕治

 共産党元議長の宮本顕治氏が18日亡くなった(YOMIURI ONLINE赤旗)。老衰死だそうだが、政治家としてはとっくに過去の人になっていて、赤旗がトップで報じなかったことがニュースになったくらいだ(朝日新聞「宮本氏死去、「赤旗」は1面2番手の扱い」)。
 政治家としての宮本顕治氏については多くの人が語ると思うので、ここでは文芸批評家としての宮本氏についてふれようと思う。
 宮本顕治氏が「改造」の懸賞論文に「敗北の文学」で応募し、小林秀雄の「様々なる意匠」をおさえて一等で当選をはたしたことはよく知られている。宮本氏を紹介した文章には必ず出てくるエピソードだし、小林秀雄を紹介した文章でもよく言及される。
 この機会を逃すと一生読むことはないので、読んでみることにした。テキストは筑摩書房の『現代日本文學大系』54巻を図書館から借りてきた。この巻には青野季吉、蔵原惟人、片山伸ら、左翼評論家の文章が集められており、宮本氏の文学上の位置をはかる上で便利である。なお、書店で入手可能な本としては岩波文庫の『日本近代文学評論選 昭和篇』があるが、「敗北の文学」は前半だけの抄録である。
 芥川龍之介の自殺に触発されて書かれた文章だということは知っていたが、唯物史観の観点から芥川を過去の遺物と決めつけている。こんな具合だ。


 やがて「実践的自己否定」に到達せずには居られない後悔に満ちた自己批判が、末期の氏の中に磅礴している。その批判の中にもインテリゲンチャに課せられた重荷である懐疑や、自尊心から脱することが出来なく、それを決裂に至るまで神経の先に凍らしている。氏こそ、ブルジョア文芸史に類稀な内面的苦悶の紅血を滲ませた悲劇的な高峰であると言えるだろう。それこそ、市民的社会の開花期から凋落期に及ぶ文化的環境に育まれた記念碑的な存在の一つであろう。こうした芥川氏の文学を批判の対象とすることは、単に私の個人的なインテレストのみではなく客観的にも無意味でないことを信じている。

 「実践的自己否定」とは自殺のことだ。悪趣味な言い方だが、これが唯物史観流である。
 「市民社会の凋落期」という言い方に時代を感じる。当時のインテリの間では明日にも社会主義革命が起こってプロレタリアートの時代がはじまると本気で信じられていたのである。今となってはノストラダムスの大予言のようなものだが、唯物史観は科学的な絶対の真理ということになっていたので、インテリの中には保険の意味で共産党にカンパする人が多かった(立花隆の『日本共産党の研究』に抱腹絶倒の話がいろいろ出てくる)。宮本氏が小林秀雄をおさえて一等に選ばれた背景にはこういう風潮があったのである。
 ただし、「敗北の文学」は唯物史観を機械的に適用して終わりというわけではない。宮本氏は青野季吉の「私達は芥川氏を批判することは出来る。だが、芥川氏を捨てて顧みないことは出来ない。自分の中にも芥川氏があり、芥川氏の死があるからである」という言葉を引き、「この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要があろう」と、芥川批判の動機を吐露している。宮本氏は唯物史観を信じながらも実践に踏みきれない自分の弱さを、芥川を鏡として剔抉しようとしたのだ。
 次の条などは宮本氏は明らかに芥川に自分自身を重ねており、リアリティがある。

 学校も彼には薄暗い記憶のみ残すものだった。まことの学校は彼にとって貧困を脱出する救命袋に過ぎなかった。
 彼は本を愛した。智的貪欲を知らない青年は、彼には路傍の人であった。実際、彼の友情はいつも幾分かの愛の中に憎悪を孕んだ情熱だった。けれど友情の標準は智的才能のみではなかった。上層階級に育った青年と握手をする時、いつも針のように彼を刺す階級的差別を感じていた。

 前半部分は心の揺れが出ていて、なかなか読ませる。執筆当時、宮本氏は21歳だったが、若書きにしては達者なものだ。21歳にしか書けない文章かもしれない。
 だが、後半部分になると唯物史観の機械的な適用が多くなり、急につまらなくなる。
 「或阿呆の一生」は親の精神病が自分に遺伝しているのではないかという強迫観念から書かれているが、宮本氏は不眠症の条に「しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社会を!」とあるのに目をとめ、芥川の自殺の原因が社会的なものだったと断定する。

 この「社会」に対する恐れは、具体的に二つのものに分析出来るのである。一つは、いやおうなしに氏を「晴朗の人」に祭り上げて、氏に鎖をかけた古い道徳的雰囲気であり、一つは資本主義の悪をみとめてその中に安住する自身を恥じる心であろう。

 しかし、問題の箇所の「病源」とは不眠症の原因のことであって、芥川は世間の目が気になって眠れないと書いているにすぎない。そこに唯物史観を読みこみ、資本主義の悪に安住する自己欺瞞にまで話を広げるのは無理である。
 宮本氏は芥川の自殺の原因を「「自己」への絶望をもって、社会全般への絶望におくかえる小ブルジョアジイの致命的論理」にもとめる。自殺する少し前に書き、仲間に回覧した「娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは/コムミュニストの棍棒をふりまわせ」という詩を引き、次のように決めつけている。

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるが、そこにもまだ不幸が残っている。
 こう云う世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。氏の文学はこの自己否定の漸次的上昇を具体的に表現しているものだ。虚無的精神も階級社会の発展期においては、ある程度の進歩的意義を持つものであるが、今の我々はそうした役割を氏の文学に尋ねることは出来ない。そう云う意味で、我々は氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ。

 宮本氏のこうした断定こそ、小林秀雄が「様々なる意匠」で批判した「一意匠」のさいたるものだろう。『日本近代文学評論選 昭和篇』には「敗北の文学」の次に「様々なる意匠」が全文収録されていて、久しぶりに読みかえしてみたが、こちらは現在でも十分読みごたえがあった。
 「敗北の文学」の直後に書かれた「過渡時代の道標」という片山伸論に目を通そうとしたが、こちらは唯物史観の機械的適用の見本で途中で放りだした。
 政治家となった後の回想類は平明でおもしろく読めた。肩から力が抜けた印象なのは余技として書いているからか。