著作権者データベースは実現できるか
第20回ICPFセミナー「著作者は著作権をどのように捉えているか」を聴講してきた。ゲストは三田誠広氏。いつもは40人の教室を使っていたが、今回は参加者が多く100人以上はいる白山ホールが会場だった。ITmediaに「「100年後も作品を本で残すために」――三田誠広氏の著作権保護期間延長論」という記事が出ており、池田信夫氏のblogにもエントリーがある。
吊るし上げ大会になるだろうと予想して出かけたが、吊るし上げは不発に終わった。三田氏はさすがに喧嘩慣れしていて、アウェーの試合と見切り、逃げに徹したからだ。のらりくらりとかわされた池田氏は憮然たる表情で会場から出ていった。その憤懣はblogからも読みとれる。
逃げきるかどうかだけが焦点のやりとりだったから、議論の細部に立ちいっても意味がない。ここでは三田氏の提唱する著作権者データベース構想だけを紹介し、検討することにする。
このデータベースは著作権者が不明の場合の調停の前提条件として作ろうというものだ。著作権者が不明で作品を流通させられないというケースは多い。人名事典に載っているような人や文藝家協会の会員だったような人なら、誰が著作権を継承しているかはすぐにわかるし、手続も簡単だが、一作か二作発表しただけで消えた人や、雑誌発表だけで消えた人などはいつ亡くなったかもわからず、著作権継承者を探しだすだけでも大変である。
著作権法では「相当な努力」をはらっても著作権継承者が見つからない場合は保証金を寄託することによって著作を利用することができるとしているが、「相当な努力」はハードルがかなり高い。こういう現状のまま、保護期間を死後100年に延長すると、いよいよコンテンツの流通が阻害されることになる。
そこで著作権管理団体が統一した著作権者データベースを作り、そのデータベースを検索して見つからなかったら「相当な努力」をはらったとみなし、調停にもちこめるようにしようというわけだ。
ここまでは以前から言われていたことだが、三田氏の構想で目新しいのは調停制度を拡充することによって、実質的に登録制と同じことを可能にしようとしている点である。
著作権者の中には保護期間が死後70年になっても、50年で十分という人もいるだろうし、死んだらすぐに全作品をフリーで公開したいという人もいるかもしれない。趣味で作品を公開している人の中には最初からフリーでかまわないという場合が多いだろう。
そこで著作権者自身が保護の条件を宣言するクリエイティブ・コモンズや、著作権保護期間延長を登録制にし、一定の手数料を払いこんだ場合にだけ保護期間を延長するという方式が提案されている。登録や意志表示がなければ、フリーと見なすことになる。
だが、こうした登録方式をとると登録や意志表示によって著作権が発生することになり、ベルヌ条約の無法式主義に抵触する。
三田構想は著作財産権の放棄の登録なので、無法式主義とは共存可能のはずである。著作権者データベースにない場合は保証金を寄託しなければならないので、保証金の金額が問題になるが、ベルヌ条約の枠組で登録制が実質的に可能になるのは魅力的である。
著作権に関する三田氏のこれまでの活動を見ていると、文化庁と密接な関係で動いていることは間違いなく、ある意味で文化庁の代弁者といえなくもない。三田構想は三田氏個人の構想というより、文化庁のアドバルーンの可能性があり、その意味でも看過できない。
しかし「相当な努力」をはらったと誰もが納得するためには著作権者データベースは網羅的でなければならない。そんなデータベースが本当に作れるのだろうか。
三田氏は最初二年でできるといい、突っこまれると二年ではできないかもしれないが、保護期間延長の改正著作権法が施行されるまでには間にあうはずと言いなおした。早くも絵に描いた餅に終わりそうな予感がする。