「ダーウィンの悪夢」
アフリカンシクリッドと呼ばれる一群の熱帯魚がいる。ビクトリア湖やタンガニーカ湖、マラウイ湖などアフリカの大地溝帯の湖に生息する固有種の総称で、淡水魚なのに海水魚のようにメタリックで色鮮やかな色彩に輝く美しい魚たちで、飼育が難しいことでも有名である。
普通の湖は数十万年で埋まってしまうが、大地溝帯の湖は常に両側から引っぱられており、数百万年間も独自の環境を保ったので、多種多様な固有種が進化し、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれている。
そのアフリカンシクリッドが今、危機に直面している。最大の生息地であるビクトリア湖にナイルパーチという外来魚が大繁殖したからだ。「ダーウィンの箱庭」はナイルパーチという闖入者のために弱肉強食の場となってしまった。
ナイルパーチは最大2mにもなる大型の肉食魚で、白身で味がよいことから高値で取引されている。ビクトリア湖には多くの加工工場ができ、切身をEUや日本に輸出して外貨を稼いでいる。ナイルパーチ産業は多くの雇用をつくりだした反面、矛盾も生んでいる。
この映画はビクトリア湖周辺に取材したドキュメンタリーで、すさまじい映像が次から次へと登場する。
ナイルパーチ漁のために周辺の農村から多数の人が集まってきて、漁師村ができているが、その稼ぎをあてこんで売春が横行し、エイズが蔓延している。エイズが発症した漁師は歩けるうちに故郷に追いかえす。死んでからでは死体の運搬費がかかるからだ。エイズで夫を失った寡婦は食べていくために売春婦になり、ますますエイズを広めていく。
魚の加工工場では大量のアラや骨が出るが、そうした廃棄物は「骨場」と呼ばれる場所に運ばれ、「再利用」される。どう「再利用」されるかは映画を見ていただくしかないが、目を覆いたくなる光景である。
切身は大型輸送機でEUや日本に輸出されるが、運ぶのはロシアの航空会社である。ロシア人パイロットやパイロット専門らしい高級娼婦のインタビューもある。
輸送機はヨーロッパからなにも載せずに飛んでくることになっているが、武器を運んでいるという噂が絶えない。しつこく武器輸送について聞かれたパイロットがついに認めてしまう場面もある。
本作は湖の中だけでなく周辺も弱肉強食の「ダーウィンの悪夢」と化している現状を描いていて、多くの賞を受賞しているが、現地のタンザニアでは批判が出ているという。タンザニア在住やタンザニアに住んだことのある日本人も批判のページを公開している。吉田昌夫氏の2006年10月6日付の記事、根本利通氏の「ダルエスサラーム通り」の第47回と第49回(これが一番詳しい)などである。
まず、フーベルト・ザウパー監督がドキュメンタリーであることを隠して撮影したことが批判されている。魚加工工場はEUの検査員と身分を偽って取材したそうだし、漁師村には教会関係者という触れこみではいりこんだそうだ。
第二にナイルパーチが多くの雇用を生んでいる点を無視して、一方的に悪玉に仕立てている点。魚加工工場は外国資本がはいっていると誤解させるような描き方をしているが、インド系やギリシャ系のタンザニア人が経営しているだけで、あくまで現地資本だそうである。
第三に切身はすべて輸出されているかのようなナレーションがついていたが、実際は現地でも消費されている点。第四にことさら暗黒面ばかり強調して、現地の実情を誤解させる点。第五にアフリカンシクリッドは絶滅したわけではなく、最近は増える徴候が見えていることを伝えていない点など。
現地の人にとって不本意なのはその通りだろうが、どれも決定的な批判とはいいにくい。誇張があるのは確かだろうが、それを割り引いたとしても、すさまじい事態が進行している事実は動かないのではないか。