「残菊物語」
溝口の芸道物の傑作として名高い作品。原作は二代目尾上菊之助の苦闘時代を描いた村松梢風の同題の小説。
二代目菊之助(花柳章太郎)は五代目菊五郎(河原崎権十郎)の養子で、音羽屋の若旦那としてちやほやされていたが、芸は拙く、裏では大根と揶揄されていた。本人もうすうす気がついて、養父に実子(後の六代目菊五郎)が生まれたこともあり、焦りを感じていたが、周囲はお世辞をいう者ばかり。
そんな中、弟の乳母のお徳(森赫子)がずばり批評してくれ、菊之助はお徳に好意をもちはじめるが、身分違いの恋を周囲が許すはずはなく、引き離される。菊之助は秘かにお徳に会いにゆき、養父の怒りを買って勘当されてしまう。
東京にいられなくなった菊之助は上方の尾上多見蔵(花柳喜章)を頼るが、芸はさっぱりで、多見蔵の顔でやっと役をもらえているありさま。
一年後、お徳が菊之助のもとにやってくる。お徳は芸の力が出てきたと菊之助をはげまし、菊之助はやる気をだすが、頼みの多見蔵が急死する。菊之助はどさ回りの一座に身を落とす。
希望のないすさんだ生活がつづき、お徳との仲にも隙間風が吹くようになる。名古屋の近くの町で不入りのために公演が打ちきりになり、座長が逃げてしまう。一座は女相撲に追いたてられ、空中分解。
二人は木賃宿に投宿するが、旧友の中村福助(高田浩吉)が名古屋に来ていると知り、お徳は福助を楽屋に訪ねる。福助はお徳が身を引くという条件でとりなしを承知する。福助の尽力で「積恋雪関戸」の墨染という大役をまかされた菊之助は見違えるような芸を見せ、東京復帰がかなう。
東京にもどる日、お徳は菊之助の前から姿をくらますが、辛酸をなめた菊之助は現実を受け入れるしかない。
菊之助は実力が認められ、角座で凱旋公演を打という話までもちあがる。その頃、お徳は胸を病み、かつて二人で暮らしていた下宿屋に世話になっていた。
道頓堀に舟乗りこみするという晴れ舞台を控えて菊之助は臨終のお徳と再会する。お徳は舟乗りこみを成功させてくれといって菊之助を送りだす。お徳は病床で道頓堀の歓声を聞きながら息を引きとる。
明治18年から23年にかけての話を半世紀後の昭和14年に映画化したことになる。
半世紀前は昔のようで昔ではない。現代に置きかえれば、八代目松本幸四郎の東宝移籍騒動が半世紀前で、その時行動を共にした染五郎は九代目幸四郎として現役である。平均寿命が今ほど長くはなかったとはいえ、関係者の縁者が現存していたわけで、映画化には微妙なものがあっただろう。
そのせいかどうかはともかく、かなり禁欲的な撮り方をしている。長回しの上にカメラはあまり動かず、役者の芝居を淡々と見せるという演劇的な作りである。それだけに、舟乗りこみで屋形舟の舳先に立つ菊五郎と、病床のお徳をかっとバックするドラマチックであざとい結末がよけい際立ってくる。
役者の中では無償の愛をつらぬくお徳の森赫子が断然光っている。新派では脇役で、花柳章太郎が強引にヒロインにしたらしいが、地味だからこそお徳の役にはまっている。