2007年9月12日水曜日

集合知と無頭の悪意

 WikiScanner日本語版の余波がつづいている。朝日新聞は9月8日に「ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も」という記事を載せ、Wikipediaに対する役人の干渉を次のように具体例をあげて批判した。

 厚労省で検索すると、100件ほどの結果が表示される。趣味に関する書き込みも多いが、06年4月には「ミスター年金」の民主党・長妻昭衆院議員の項目に、「行政官を酷使して自らの金稼ぎにつなげているとの指摘もある」と書き加えられていた。
 宮内庁からの書き込みでは、06年4月、「天皇陵」の項で、研究者の立ち入りが制限されていることを巡り、「天皇制の根拠を根底から覆しかねない史実が発見されることを宮内庁が恐れているのではないかという見方もある」とあった部分が削除されていた。

 このほか、法務省からは05年10月、「入国管理局」の項目で、難民認定に関し、「外務省・厚生省ともに面倒な割に利権が全くない業務を抱えるのを嫌がり」と他省の「悪口」を追加。


 ところが、今度はその朝日新聞の社員がWikipediaに820件にもおよぶ加筆訂正をおこなっていたことがあきらかになったのである(J-CASTニュース)。
 当然予想されたことだが、820件はなかなかの数だ。読売新聞はもっと多く854件ある。新聞社はよほど暇なのだろう。
 Wikiepediaの記述を修正したら足跡が残るのは自明であって、会社のパソコンから修正したのは不用意だった。自宅やネットカフェのパソコンを使えばわからないから、こうした我田引水の修正の試みは今後もなくなることはないだろう。
 今回の騒動でWikipediaの信頼性が揺らぐと言っている人がいるが、そんなことは最初からわかりきったことである。
 わたしが興味深く感じるのは、Wikipediaの最初からいい加減でうさんくさい記述が、編集に介入する利害関係者という「主体」が発見されたとたん、急に問題にされるようになったことである。記述そのものは変わっていないにもかかわらず、だ。
 しかし、Wikipediaは「集合知」といわれているように、「主体」を希釈する仕組になっている。朝日新聞社員や霞ヶ関の役人のくわえた修正の多くはそのままの形で残っているわけではない。得体の知れない、おそらくは彼らほどの知識はもちあわせない多数の匿名の参加者によって原形をとどめないまでに加筆訂正されている。Wikipediaの記述を自分の思い通りに変えようとしても、シジフォスの営みになりかねないだろう。
 おそらく、Wikipedia的な「集合知」については二つの見方がある。一つは多数の「主体」がモザイクとして残存しているという見方、もう一つは個々の「主体」が消去され合力に化しているという見方。
 わたし自身は「集合知」はbotやコンピュータ・ウィルスと同じ「無頭の悪意」の類だと考えている。