2007年5月31日木曜日

「夏の夜の夢」

 新国立劇場中劇場でジョン・ケアード演出「夏の夜の夢」を見た。
 回り舞台を三等分し、一つを昼のアテネ、もう一つを夜の森に仕立てている。昼のアテネは真っ白な壁の宮殿に、ギリシャ風の破風のついた玄関が二つならんでいる。夜の森は二層構造で、鉄製の螺旋階段三つで上と下を結び、針金のごちゃごちゃしたオブジェで森の奥深さをあらわしている。三つ目の部分は最後のお楽しみ。
 昼の支配者(アテネの公爵とアマゾンの女王)と夜の支配者(オーベロンとタイターニア)を同一の俳優に演じさせるおなじみの演出で、今回は公爵・オーベロンに村井国夫、アマゾンの女王・タイターニアに麻実れいを配している。
 公爵は謹厳だが、オーベロンはネクタイを緩めて不良っぽいサングラスを決め、いかにもワルである。麻実れいも清楚なアマゾンの女王から、あだっぽいタイターニアに変身する。他の妖精と同じく、背中にかわいらしい蜜蜂の翅をつけている。この二人は貫禄たっぷりで、四人の恋人たちを完全に食っている。四人の恋人たちのドタバタは普通におもしろいが、特にいうことはない。
 台詞をノーカットで使っているらしく、若い役者は持てあまし気味だ。松岡和子訳は軽快だが、ノーカットは苦しい。夜の場面は動きが派手なのでスピード感でカバーしているが、昼の場面はかなりもたつく。職人たちのピラマス劇ももっさりしすぎで、あまり笑えなかった。初日のせいかもしれないが、リズムに乗れていないのだ。
 さて、回り舞台の最後の部分だが、カーテンコールで明らかになる。パックの最後の口上の通り、舞台裏を見せるのだ。ある程度は予想していたが、華麗なアテネの宮殿の裏側がベニヤ板剥きだして出てくるのはインパクトがある。昼が象徴界、夜が想像界なら、カーテンコールは現実界ということになるのか。理屈はいくらでもつけられる。
 カーテンコールの最後におまけがあった。オーベロンを演じた村井国夫が本当の妖精の王を紹介しますといって、ジョン・ケアードを舞台に呼び上げたのだ。
 ケアードは客席から振付の広崎うらん(金髪!)と翻訳の松岡和子を引きつれてあらわれ、舞台に上がって堂々の挨拶。初日で得をした。