2007年10月15日月曜日

「恋愛睡眠のすすめ」

 同じゴンドリー監督の「エターナル・サンシャイン」はすばらしかったが、こちらは期待はずれ。
 パリ生まれ、メキシコ育ちの内気な青年ステファンがパリに到着したところからはじまる。ステファンの父はメキシコ人、母(ミュウ=ミュウ)はフランス人だったが、両親は離婚し、彼は父親につれられてメキシコにわたった。父親が亡くなったので、母親に呼ばれてパリにやってきたもの。
 母親はアパルトマンを一軒所有していたが、今は芸術家の恋人の郊外の家で同棲していて、ステファンは子供の頃住んでいた最上階の部屋に一人で住みはじめる。母親が用意してくれた仕事はデザイナーということだったが、実際はカレンダーに文字をいれるだけの単純作業で、フランス語のうまくないステファンは早くも空想に逃避するようになる。
 空想世界は段ボールや飛び出す絵本で作られていて、ほほえましいが、そこに事件が。隣室にステファニー(シャルロット・ゲンズブール)が引越してきてのだ。ステファンは成り行きで引越を手伝ったことから彼女に引かれるようになるが、心が通いあったはずなのに、彼女は恋人はいらないと拒絶する。
 ステファンはいよいよ空想に逃避していき、現実と空想の区別がつかなくなる。彼は会社を馘になり、メキシコに帰ることにするが、ステファニーを思いきれず、未練な行動をとっていよいよ嫌われてしまう。
 空想シーンは才気走っているが、現実シーンがぐちゃぐちゃすぎる。日本だったらこういう男にも別の着地点があるが、フランスの場合、ハードランディングしかないのだろう。

2007年10月11日木曜日

「プレステージ」

 宿命のライバル関係にある二人のマジシャン、ロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とアルフレッド・ボーデン(クルスチャン・ベール)の相克を描いた奇作。
 冒頭、ボーデンが舞台の地下に駆けこむと、アンジャーが密閉された水槽の中でもがき絶命し、その場にいあわせたボーデンが殺人罪で逮捕される。外連味たっぷりの出だしだが、凶器となった水槽は無名時代のボーデンが脱出マジックでアンジャーの妻を事故死させたいわくつきのものだとわかる。事故以来、二人はことごとにいがみあい、憎しみが憎しみを呼んで、抜き差しならない関係になる。
 出だしがすごすぎて、対立がエスカレートする部分が中だるみ気味だが、後半、盛りかえしてくる。ニコラ・テスラが登場した時点で並の終わり方はしないだろうと思ったが、まさかそんな結末にはしないだろうと思った通りの結末になり唖然とした。
 こんな変態的なストーリーを考えたのはただ者ではないと思ったが、はたしてクリストファー・プリーストの『奇術師』という長編が原作だった。『奇術師』はさらに手がこんでいるらしい。結末がわかっていても読んでみたくなった。
 十分おもしろいけれども、演出が上手ければもっとおもしろくなったと思う。スカーレット・ヨハンソンが重要な役で出てくるが、対立がエスカレートする部分がごちゃごちゃしているためにキャラが埋没している。彼女を活かせていれば中だるみはなかったろう。

「ストリングス」

 デンマークの人形劇映画だが、庵野秀明と長塚圭史が脚色した「ジャパン・バージョン」だという。エイベックスが鳴り物入りで宣伝しているだけに声優陣は豪華で、主人公のハルを草薙剛、その妹ジーナを優香、敵対部族のリーダーでハルと恋に落ちるジータを中谷美紀、他に香取真吾、市村正親、戸田恵子、伊武雅刀、劇団ひとり、小林克也が参加している。
 「脚色」の関与がどのくらいなのかはわからないが、日本語吹替えの出来はベストとはいえない。もそもそ喋っていて、有名スターがそろっているのに、誰が誰だかわかりにくいのだ。専門の声優を使った方が人間関係がわかりやすくなっただろう。
 しかし、作品そのもののレベルが高いので、後半、盛りあがってくる。マリオネットが生きている世界という設定にして、マリオネットの宿命というべき糸をあえてさらしたセンスはすごい。「デビルマン」のように、自分の正義をひっくりかえしてみせたのも、デンマークという小国だからこそ可能になったストーリーだろう。結末は感動した。

2007年10月10日水曜日

「お熱いのがお好き」

 マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジャック・レモンが顔をそろえたコメディ映画の古典である。遅ればせながら見たが、これは傑作中の傑作だ。
 舞台は1929年2月の禁酒法時代のシカゴ。映画の公開は1959年だから、30年前の話という設定だ。1929年は10月に大恐慌がおきているから、2月はバブル景気が最後の暴走をはじめた時期にあたるだろう。
 冒頭、夜の街を霊柩車とパトカーが派手に撃ちあいをしながらカーチェイスをくりひろげる。それだけでもおもしろいのに、車はどちらも1920年代のクラシックカーだ。
 霊柩車が棺桶に隠して運んでいるのは密造酒で、葬儀社の地下にはゴージャスな地下酒場があり、夜な夜な乱痴気騒ぎ。そこへ警察の手入れ。
 しがないバンドマンのジョー(カーティス)とジェリー(レモン)は潜入した刑事に気づき、警察が突入する寸前に逃げだす。逮捕を免れたものの、二人は寒空のシカゴで路頭に迷う。やっと見つけた仕事に行くために女友達から車を借りるが、そのガレージでマフィア同士の抗争をを目撃してしまう。「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれる事件だ。
 二人はマフィアの大親分(アル・カポネがモデルだが、名前は変えてある)に追われる身となり、シカゴから逃げるために女装して女だけのバンドにもぐりこんでフロリダに向かう。そのバンドのウクレレ兼ヴォーカルがマリリン・モンローである。
 ここまでは前置きで、本篇は暖かなフロリダのリゾートホテルが舞台となる。一人二役や勘違いといったコメディでおなじみの手法で笑わせるが、観客はこの後に大恐慌が来ることを知っているわけで、それが物語の隠し味になっている。
 マリリン・モンローは私生活では睡眠薬でボロボロになっていたが、映画の中ではひたすら明るく、無垢で、可愛らしい。

「荒馬と女」

 マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの最後の映画である。原作はアーサー・ミラーの短編 "The Misfits"で、「不適格者」とか「はみだし者」と訳されている。映画も原作の題名をそのまま使っており、邦題とはまったく印象が異なる。
 映画製作当時、ミラーとモンローの結婚生活は破綻しており、離婚は秒読みだったが、ミラーはモンローのためにロズリンという役を書き加えてやったという。
 舞台は6週間滞在すれば離婚が認められるネバダ州のリノで、ロズリン(モンロー)は離婚のために町にやって来ている。
 めでたく離婚が成立した日、離婚コーディネーターのイザベルに誘われて酒場にいき、野生馬狩りで生計を立てているゲイ(ゲイブル)と流れ者のパース(クリフト)、元爆撃機のパイロットで自動車修理工のギド(ウォラック)と意気投合する。
 ロズリンは西部の生活にあこがれをいだくが、パースの出場したロデオを見てショックを受ける。ふりおとされ、脳震盪でふらついているのに、まだ出場するというのだ。周囲の人間もそれを当然と考えている。ロズリンにはまったく理解できない。
 自由な生活の実情もだんだん見えてくる。ゲイは時代錯誤のカウボーイだし、パースは牧場を継ぐはずだったのに継母に追いだされたことを愚痴っている。ギドは爆撃で無辜の市民の殺戮に手を汚したことを悔やんでいる。
 翌朝、野生馬狩りがはじまると、ロズリンはさらにショックを受ける。ギドがオンボロ飛行機で野生馬の群れを追いたて、待ち構えていたゲイとパースが投縄でとらえるのだが、つかまえた野生馬はかつては乗馬としての需要があったが、今はドッグフードの原料にしかならないというのだ。ロズリンは脚をロープで縛られ、地面でもがく馬を見てパニックを起こす。パースは見るに見かねて、ロズリンのために野生馬を解放してやる。
 面目丸つぶれのゲイは最後に意地を示す。徒手空拳、野生馬のリーダーと格闘してとりおさえる。これで救われた。
 それまでは陰々滅々な展開で、途中で席を立ちたくなった。DVDだったら見るのをやめていただろう。二本立ての一本目だったので、我慢して最後まで見たが、最後まで見通すと感動していた。ゲイは最後にプライドをとりもどした。ゲイを演じたクラーク・ゲーブルはクランクアップの四日後に急死したということだが、それだけの鬼気迫る名演だった。
 ギリシャ悲劇などもそうだが、真のカタルシスにいたるには不快に耐えなければならない。昨今のマーケティング主導の映画作りでは無理だが。

2007年10月6日土曜日

「ふろくのミリョク☆展」

 弥生美術館で「ふろくのミリョク☆展」を見た。ここは雑誌の挿絵専門の美術館だから、雑誌の付録も守備範囲ということだろう。
 若い人は知らないだろうが、少年サンデー、マガジンが創刊される前はマンガ雑誌は月刊が基本で、本体より一回り小さい別冊マンガ数冊と紙製の組立付録を間にはさみ、倍くらいの厚さに膨らんでいた。紙の事情がよくなっても、マンガ雑誌だけはガサガサの仙花紙にこだわっていたから、見かけの厚さが売行を左右したのかもしれない。組立付録は紙製といってもあきれるくらいよく出来ていて、組み立てるのがまた楽しみだった。
 展示は一階がルーツと少年雑誌、二階が少女雑誌という配分である。
 組立付録のルーツは江戸紙おもちゃと欧米のペーパークラフトだ。双六やカルタ、錦絵、皇室ブロマイド(!)のような紙の付録をつけているうちに、昭和にはいった頃からペーパークラフトを日本化した組立付録をつけるようになったらしい。
 初期の組立付録は時代が時代だけに、軍艦や戦車、飛行機といった軍事ものが多い。講談社「少年倶楽部」専属で中村星果という付録作りの名人がいて、彼の作品で一つのコーナーができていたが、ひと抱えもある戦艦三笠など、唖然とするくらいよくできている。細部まで細かく作りこんである上に、組み立てる前の紙の状態を見ると、ほとんど無駄がない。戦艦三笠は復刻版が講談社から出ていたようだが、今は絶版である。これはぜひほしい。また復刻しないだろうか。
 戦前は中村星果を擁した「少年倶楽部」の独壇場だったが、戦後は光文社の「少年」が組立付録の王者となる。

 「少年」で一つのコーナーができていたが、「少年」はとっていたので懐かしかった。見覚えのある付録もあった。今にして思えば大変なことだが、「少年」には「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、「サスケ」など、昭和のマンガの代表作が連載されていたのだった。
 うっかりしていたが、『月刊漫画誌 「少年」 昭和37年 4月号 完全復刻BOX』という復刻版が出ていた。プレミアがついているようだが、また復刻してくれないものか。
 戦後の組立付録は軍事から科学へシフトしたが、科学付録といえば学研の「科学」が他を圧していた。学習雑誌は講談社や小学館からも出ていたが、「科学」の付録はプラスチックや木材、金属を使っていて、次元が違っていた。それが現在の『大人の科学』シリーズにつながっているわけであるが。
 学研の「科学」だけ紙以外の素材を使った付録をつけることができたのは、学研がトラック輸送を使っていたためだそうである。学研以外の学習雑誌は国鉄で運送していたので、雑誌には紙しか認めないという国鉄の規制にひっかかり、紙の付録しかつけることができなかったというわけだ。
 多分、これには取次の問題もからんでいるだろう。学研の学習誌は書店ではなく、学校で売られていた。教師が予約した子供から毎月お金を集め、教室でわたすということをしていたのだ。よくあんなことが許されていたものだと思う。
 さて、二階は少女雑誌の付録だが、こちらはイマイチだった。松島トモ子は懐かしかったが、どれも妙に実用的で、付録特有のバカバカしさが薄いのである。
 この展覧会にあわせて、河出書房の「らんぷの本」シリーズから『少女雑誌ふろくコレクション』が出版されるというが、少女雑誌の付録では食指が動かない。平凡社の「別冊太陽」から出ている『おまけとふろく大図鑑―子どもの昭和史』の方がおもしろそうだ。
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2007年10月4日木曜日

「そして、デブノーの森へ」

 イタリアの文化財ものの図書館で開かれた討論会の場面からはじまる。討論会のテーマはセルジュ・ノヴァクという覆面のベストセラー作家で、壇上には代理人の編集者があがっている。最後列で見ているダニエル(ダニエル・オートゥイユ)がノヴァク本人で、彼はさっさと会場を離れ、ナポリに向かって車を走らせる。ナポリの沖のカプリ島で義理の息子、ファブリツィオ(ジョルジョ・ルパーノ)の結婚式があるからだ。
 カプリ島にわたる船上で彼はミラ(アナ・ムグラリス)というイディッシュ語を話す美女と出会い、彼女に誘われるまま一夜をともにする。翌朝、彼女と別れて結婚式場につくが、花嫁としてあらわれたのはミラその人だった。
 ミラは新婚の夫をさしおいて、ダニエルに接近してくる。ミラはモデルで、豪勢な匿れ家を持っていたが、同じポーランド出身というエヴァ(マグダレーナ・ミエルカルツ)という女が影のようにつきしたがっていた。
 最初はオヤジの危険なアバンチュールで引きつけるが、半ばから復讐の物語であることが明らかになってくる。エヴァはダニエルの自殺した親友の娘で、彼女はダニエルの処女作は自分の父の作品の盗作だと、巨額の金を要求してくる。ミラはエヴァの復讐のためにダニエル一家に近づいたのか。
 アナ・ムグラリスの挑戦的なまなざしがどきどきするほど魅力的だが、そのまなざしには意味があったことが最後のどんでん返しであきらかになる。ダニエルが覆面作家として活動してきたことにも、二重の意味があったことがわかる。
 盗作というと「私家版」という傑作があるが、こちらはどっちがどっちを盗んだともいえない親友どうしの魂の結びつきにふれており、実に深い。
 ダニエルの妻という脇役だが、久々のグレタ・スカッキがいい味を出している。若い頃の彼女はただの美人女優で薄味だったが、年齢を重ねて、いい意味で貫禄が生まれている。
 しかし、この映画の成功はアナ・ムグラリスの存在によるところが大きい。なんという美貌だろう。『NOVO』に主演しているということだが、見のがしてしまった。ぜひ映画館で見たい。

2007年10月2日火曜日

ニューヨーク・タイムスが過去記事無料化

 ニューヨーク・タイムスは過去記事の無償公開に踏みきった(media pub)。無償公開されているのは1987年以降の記事だが、それ以前の記事の多くも無料で読めるようである。
 安部公房の訃報を検索したところ、ちゃんと出てきた。

 映画評も無償公開されており、映画評の抜粋と読者の投稿した感想を読むことができる。映画評の全文を読むにはあらかじめ自分のメールアドレスを登録しておく必要があるが、たいした手間ではない。下は『砂の女』の映画評である。

 media pubによると、アーカイブ開放にあわせ、リンク切れがおこらないように記事URLの恒久化するとともに、サーチエンジンの上位に来るように記事のマークアップを変更を進めているということだから、狙いとするところは明確だ。
 過去記事の有償公開にこだわっていてはネット社会では埋没するだけだ。ニューヨーク・タイムスのブランド力を守り、アーカイブという資産を生かすには無償公開に踏みきるしかなかったのである。
 日本はどうか。MSNは毎日新聞との提携をやめて、10月1日に産経新聞と組んで新ニュースサイト「MSN産経ニュース」を開始したが、過去記事の公開は半年間限定である。毎日MSNが3ヶ月だったことを考えれば多少進歩したといえるが、五十歩百歩でしかない。
 一方、毎日新聞は10月1日から「毎日jp」を開設したが、過去記事の公開は一ヶ月間に短縮してしまった。
 ITmediaによると「サイト全体について、アルファブロガーと呼ばれる有名ブロガーやネットジャーナリストに助言をもらった」ということだが、一ヶ月でリンク切れになるようなことをしておいて、本当に意見を聞いたのだろうか。
 アルファブロガーによるお勧め記事のコーナーなどを作るらしいが、有名人に頼ってという発想がすでに古い。こんなことだから、マイクロソフトに見限られるのだ。バカはどこまで行ってもバカである。

「ラスト・キング・オブ・スコットランド」

 最悪の独裁者といわれたウガンダのアミン大統領を、はからずも側近になってしまった若いスコットランド人医師の視点から描く。原作はジャイルズ・フォーデンの『スコットランドの黒い王様』。
 エジンバラ大医学部を卒業したニコラス・ギャリガンは冒険心からアフリカの診療所に赴任するが、クーデタを起こして大統領に就任したばかりのアミンが村にやってきて知りあったことから、とんとん拍子に主治医にとりたてられる。アミンは英国嫌いだったが、ギャリガンが英国に抵抗したスコットランドの出身だったことが気にいられた理由らしい。
 フォレスト・ウィテカー演じるアミンは陽気で騒々しく、周囲を熱狂に巻きこみ、現実の大統領というよりカーニバルの阿呆王という印象である。ウィテカーの怪演は評判通りだが、アフリカではこういう人物でないと大統領になれないのだろうか。
 ギャリガンはジャングル暮しをやめて首都の豪邸に移り、得意満面の日々を送るが、しだいにアミン政権の裏面を知るようになる。
 始末の悪いことに、彼はアミンの夫人の一人に同情するうちに恋仲になってしまう。
 不倫がばれたギャリガンは脱出を試みるが、時すでに遅く、絶体絶命のピンチに。最後の最後にエンテベ事件を持ってきたのは上手い。
 ギャリガンは架空の人物だが、『金正日の料理人』を読んでいたので、こんな若者がいても不思議はないと思った。北朝鮮が崩壊したら、金正日を主人公にして同じような作品が作れるだろう。

「クイーン」

 ダイアナ妃の死の後の英国王室の内情を描いた映画だが、3ヶ月前のブレア首相就任時点からはじまる。就任するまでの手続を通して女王の役割を紹介しようというわけだ。
 覗き見趣味をほどほどに満足させ、人間模様を見ることもでき、英国の政治制度の勉強にもなるというよくできた映画だが、感動するところまではいかなかった。
 エリザベス女王を演じるヘレン・ミレンはすばらしいが、他の役者がしょぼすぎるのだ。ブレア首相がかっこよく描かれてはいるが、所詮、脇役であって、女王に拮抗する人物にはなっていない。王室の面々も小粒だ。ヘレン・ミレンがどんなによくても、対立する人物がいないとドラマにはならない。映画のブレアは3ヶ月で反王室から女王のファンに転向したが、ここを掘りさげればドラマが生まれたかもしれない。