2007年7月31日火曜日

「ダイハード4.0」

 テロリストに占拠された密室状況の中でブルース・ウィリスが孤軍奮闘するシリーズの四作目。第一作はビル、第二作は空港、第三作はマンハッタンと、密室の規模がだんだん大きくなってきたが、今回はアメリカ全土がダイハード状況になる。第五作が作られるとしたら、地球全体か。
 規模が大きくなるほど大味になっていったので期待しなかったが、わりにおもしろかった。ウソみたいなアクションの連続で、ここまでくると立派というしかない。二作目、三作目がつまらなかったのは中途半端だったからだろう。
 大画面と大音響が売りの映画なので、DVDで見たらつまないと思う。ロードショウで公開されているうちに見るべし。

2007年7月30日月曜日

光市母子殺害事件と幼児神話

 山口県光市の母子殺害事件差戻審の三回目の集中公判が26日に終わった。
 前回は『魔界転生』が出てきて唖然とさせられたが、今回も被害者宅を訪問したのはピンポンダッシュだったとか、「ロールプレイングゲーム感覚だった」とか言いだし、証人の精神科医からは「死刑になって、来世で弥生さんの夫となる可能性がある」と拘置所で語っていた事実が明かされた。『サイコメトラーEIJI』や、アパートが怪物に見えるという話も出てきた。
 F被告と弁護団は被告の幼さを強調する方向で一貫している。幼さを強調することで、性的な色彩を薄めようというわけだ。


 被告「義母に昼休みだから戻った、とうそをついた後、後ろから抱きついて甘えた」
 弁護人「どうして抱きついたのか」
 被告「無性にさみしかったけえ、お母さんにいっしょにいてほしくて」
 弁護人「抱きつくのは性的な意味もあるのか」
 被告「義母には失礼だが、(中学1年のときに自殺した)実母に代わるものとして、母性を求めていた」

 この義母は20代のフィリピン人女性だそうである。そういう女性に抱きついておいて、性的な意味はまったくない、母性を求めていただけといっても説得力はない。
 いや、いくら性欲隠しをしようとしても、被害者をレイプしたという事実がある以上、下手な言い訳としか聞こえない。
 フロイトは幼児性欲を発見したが、幼児の性欲は口愛期や肛門期の多形倒錯の性欲であって、レイプをするような性器性欲ではない。
 もしF被告の精神的発達が著しく遅れていて幼児レベルだとしたら、被害者が脱糞した便を食べてしまうとか、被害者の肛門に異物を押しこむとか、正真正銘の変態行為におよんでいただろう。
 幼児性欲の理論を発展させたメラニー・クラインの『児童の精神分析』などを読むと、幼児の多形倒錯の世界がどんなに奇怪かわかる。幼児性を強調することで性欲隠しができると思っているのは、幼児が無垢だという幼児神話にとらわれているからだ。本当の幼児の心の世界はそんなものではないらしい。
 弁護団がF被告から遺族の神経を逆撫でするような発言を引きだしているのは(すくなくとも発言を止めていない)、精神鑑定に持ちこむためだという見方があるが、麻原彰晃のような状態であってもまだ佯狂を疑われ、死刑判決が出た。F被告の幼児性も異常性も中途半端である。あの程度で責任能力なしは無理である。
 弁護団は今回も逆手にこだわっていたが、絞殺という事実の前でどこまで意味があるのか。
 手の位置で犯行様態が大きく変わったというと、映画やTVドラマになった大岡昇平の『事件』を思いだす。
 この事件は当初、姉と妹両方と関係した少年が痴情のもつれから姉をナイフで刺殺した単純な殺人事件と思われていたが、菊地弁護士の地道な調査の結果、事件の真相が明らかになり、少年の手の位置が決め手となり殺人ではなく、傷害致死であることが認められる。
 安田弁護士が菊池弁護士のような一発逆転をねらっているのかもしれないが、ナイフによる刺殺と、素手による絞殺ではまったく意味が違う。ナイフなら相手が倒れこんできた場合、殺すつもりがなくても絶命させてしまうことがありうるが、成人を絞殺するには六分以上、全力で首を締めつづけなければならない。絞殺は確定的な殺意がないと不可能なのである。特異体質であるとか、特別な事情がない限り、絞殺で傷害致死と認定されるのは無理だろう。

2007年7月29日日曜日

翻訳ははかない

 来月はお盆があることでもあるし、『仙波龍英歌集』が出た機会に、生前存じあげていた方々の遺著特集を「書評空間」でやろうと思ったが、SF翻訳勉強会で親しくしていただいた矢野徹さん、黒丸尚さん、野口幸夫さんの御著書の大部分が入手不可になっていることがわかり呆然とした。
 ロシア東欧圏のSFという特殊な分野で活躍しておられた深見弾さんはレムの『天の声』、『ロシア・ソビエトSF傑作集』、『東欧SF傑作集』が生き残っている。山高昭さんはクラークというビッグ・ネームを訳しておられたので『楽園の泉』、『2061年宇宙の旅』、『天の向こう側』などが現役である。
 今、著作権の死後70年延長問題で侃々諤々の議論をやっているが、翻訳のなんとはかないことか。いや、はかないのは翻訳に限らないけれども。
 翻訳を後世に残すには、深見さんのように特殊な分野を訳すか、山高さんのように古典として読みつがれそうな作品をやるしかないらしい。
 ただし、あまりにも有名な作品だと、新訳がでて埋もれてしまう危険性がある。後世まで確実に自分の訳書を残すには、森鷗外や永井荷風のように、自分自身が古典を書くしかないのだろう。

2007年7月26日木曜日

「憑神」

 浅田次郎原作を降旗康男監督が妻夫木聡主演で映画化。
 降旗康男は大味だし、浅田次郎流の人情噺はおもしろいと思ったためしがなかったが、この映画はよかった。浅田原作らしくこぢんまりとまとまっているが、ほら話的な広がりがある点がこれまでとは違う。
 主人公の彦四郎を榎本武揚といっしょに英学を学んだ秀才にして、幕末の動乱につなげる程度はすぐに思いつくだろうが、先祖が大阪夏の陣で家康の盾になって死んだ足軽で、その功績から代々影鎧の番を仰せつかる家柄にしたのは秀逸。彦四郎というアナクロな存在の滑稽味と哀しみが一段と深くなった。
 彦四郎は榎本が祈って出世の糸口をつかんだというミメグリイナリに手をあわせるが、ミメグリはミメグリでも三囲稲荷ではなく、三巡稲荷という別の神様だった。
 間違った神に祈ったばかりに、彦四郎は貧乏神、疫病神、死神に次々ととりつかれる。最初の貧乏神が西田敏行、次の疫病神が赤井英和とベテランをもってきて、最後の死神に子役の森迫永依を使うキャスティングもみごとで、三人ともいい芝居をしている。
 彦四郎はボケ役で振りまわされる一方だが、神様たちに同情されるイノセントな人柄がよく出ていた。彦四郎の兄の左兵衛(佐々木蔵之介)はずいぶんふざけた侍だが、案外、江戸にはああいうタイプはいたかもしれない。
 愛すべき小品だが、残念なのはラスト。上野戦争が中途半端だったし、その後に現代編をくっつけて、浅田次郎本人を出したのは蛇足。

2007年7月25日水曜日

著作権者データベースは実現できるか

 第20回ICPFセミナー「著作者は著作権をどのように捉えているか」を聴講してきた。ゲストは三田誠広氏。いつもは40人の教室を使っていたが、今回は参加者が多く100人以上はいる白山ホールが会場だった。ITmediaに「「100年後も作品を本で残すために」――三田誠広氏の著作権保護期間延長論」という記事が出ており、池田信夫氏のblogにもエントリーがある。
 吊るし上げ大会になるだろうと予想して出かけたが、吊るし上げは不発に終わった。三田氏はさすがに喧嘩慣れしていて、アウェーの試合と見切り、逃げに徹したからだ。のらりくらりとかわされた池田氏は憮然たる表情で会場から出ていった。その憤懣はblogからも読みとれる。
 逃げきるかどうかだけが焦点のやりとりだったから、議論の細部に立ちいっても意味がない。ここでは三田氏の提唱する著作権者データベース構想だけを紹介し、検討することにする。
 このデータベースは著作権者が不明の場合の調停の前提条件として作ろうというものだ。著作権者が不明で作品を流通させられないというケースは多い。人名事典に載っているような人や文藝家協会の会員だったような人なら、誰が著作権を継承しているかはすぐにわかるし、手続も簡単だが、一作か二作発表しただけで消えた人や、雑誌発表だけで消えた人などはいつ亡くなったかもわからず、著作権継承者を探しだすだけでも大変である。
 著作権法では「相当な努力」をはらっても著作権継承者が見つからない場合は保証金を寄託することによって著作を利用することができるとしているが、「相当な努力」はハードルがかなり高い。こういう現状のまま、保護期間を死後100年に延長すると、いよいよコンテンツの流通が阻害されることになる。
 そこで著作権管理団体が統一した著作権者データベースを作り、そのデータベースを検索して見つからなかったら「相当な努力」をはらったとみなし、調停にもちこめるようにしようというわけだ。
 ここまでは以前から言われていたことだが、三田氏の構想で目新しいのは調停制度を拡充することによって、実質的に登録制と同じことを可能にしようとしている点である。
 著作権者の中には保護期間が死後70年になっても、50年で十分という人もいるだろうし、死んだらすぐに全作品をフリーで公開したいという人もいるかもしれない。趣味で作品を公開している人の中には最初からフリーでかまわないという場合が多いだろう。
 そこで著作権者自身が保護の条件を宣言するクリエイティブ・コモンズや、著作権保護期間延長を登録制にし、一定の手数料を払いこんだ場合にだけ保護期間を延長するという方式が提案されている。登録や意志表示がなければ、フリーと見なすことになる。
 だが、こうした登録方式をとると登録や意志表示によって著作権が発生することになり、ベルヌ条約の無法式主義に抵触する。
 三田構想は著作財産権の放棄の登録なので、無法式主義とは共存可能のはずである。著作権者データベースにない場合は保証金を寄託しなければならないので、保証金の金額が問題になるが、ベルヌ条約の枠組で登録制が実質的に可能になるのは魅力的である。
 著作権に関する三田氏のこれまでの活動を見ていると、文化庁と密接な関係で動いていることは間違いなく、ある意味で文化庁の代弁者といえなくもない。三田構想は三田氏個人の構想というより、文化庁のアドバルーンの可能性があり、その意味でも看過できない。
 しかし「相当な努力」をはらったと誰もが納得するためには著作権者データベースは網羅的でなければならない。そんなデータベースが本当に作れるのだろうか。
 三田氏は最初二年でできるといい、突っこまれると二年ではできないかもしれないが、保護期間延長の改正著作権法が施行されるまでには間にあうはずと言いなおした。早くも絵に描いた餅に終わりそうな予感がする。

2007年7月24日火曜日

仙波龍英氏の思い出など

 2000年になくなった仙波龍英氏を偲んで『仙波龍英歌集』が六花書林から出ていた。
 まだ現物を見ていないが、生前刊行された『わたしは可愛い三月兎』と『路地裏の花屋』に若干の拾遺歌とインタビュー、藤原龍一郎氏の「メモワール」がはいっているという。2100円という定価は歌集としては異例に安い。一人でも多くの読者に読んでもらおうということだろう。大手書店のサイトを調べたが、どこも在庫がなかった。六花書林に注文するのが一番確実だと思う。
 仙波龍英氏とは学生時代に親しくしていただいた。わたしにとっては仙波さんというより氷神さんである。
 あれは大学にはいった年の夏休み明けだったと思う。ワセダ・ミステリ・クラブのたまり場だったモン・シェリの扉を開けると、クラブ員のたむろする一角の端にペイズリ模様のシャツを着たルー大柴のような新入会員がすわっていて、法学部三年の氷神琴支郎と名乗った。それが氷神さんこと、仙波龍英氏との出会いだった。
 ワセダ・ミステリ・クラブはミステリを千冊、二千冊以上読んでいるのは当たり前で、ポケミス全巻読破という強者もいたから、ミステリをろくに読んでいないわたしは肩身が狭く、読書傾向の重なる氷神さんと話すことが多かった。そのうちに学生時代からSF俳句で名をなしていた藤原龍一郎氏を師匠に「WMC詩人会議」を作ったりした。
 氷神さんは「短歌人」という結社に入会したが、投稿した歌を見せてもらうと仙波龍英名義だった。仙波龍英は師匠の藤原龍一郎さんから一字もらったペンネームだといっていたが、それが本名とわかるのはずっと後のことである。
 ワセダ・ミステリ・クラブのOBにはアルコール依存症になる人がすくなくなかった。直接知っている範囲でも三人がアルコール依存症で入院している。氷神さんもその一人だった。わたしは酒飲みが苦手なので、氷神さんとは疎遠になっていった。逃げたといった方が正確かもしれない。逃げておいて、今さら偲ぶふりなんてと、氷神さんは笑っているに違いない。
 ネットを検索すると、氷神さんを偲ぶページがたくさん見つかった。毎日新聞のサイトにも紹介があった。氷神さんはこんなに多くの読者をもっていたのである。これくらい物書き冥利につきることはない。

*

 氷神さんの訃報はOB会筋からすぐに知らされたが、SF関係の訃報は数ヶ月から数年遅れで知ることが多く、不義理を重ねている。矢野徹さんと深見弾さんは半年以上たってから知った。先日は野口幸夫さんが二年前に亡くなっていたことを知り驚いた。
 タイミングを逸したのでサイトには書かなかったが、矢野さんの座談は滅法おもしろかった。屋久島だったか、奄美大島だったか、南の島に旅行した話は今でも思い出す。まったくのほら話なのだが、あれくらいポンポン発想が出てこないと小説は書けないのだなと思った。右翼の矢野さんとソ連KGBの手先の深見さんのかけあい漫才も懐かしい。
 深見さんはナウカに長く勤務されていたが、取締役にされそうになったので辞めたと言っておられた。ロシア・東欧圏のSFの紹介者としてかけがえのない人だった。レムについては沼野充義氏が精力的に紹介をつづけておられるが、ロシア語のSFに関してはまだ後継者はあらわれていないようである。
 野口さんは「NW SF」でデビューしたのでNW系の人と見られているようだが、伊藤典夫を尊敬して翻訳家になった人で、伊藤組の若衆頭格だった。
 伊藤氏の影響からか、野口さんは1980年代の後半には翻訳論の迷路にはいりこんでおられた。佐久間さんも仕事をやめて翻訳専業になられた頃から、翻訳論というか、日本語論の迷路にはいりこんでおられた。家に閉じこもって文字に向かいあう生活をしていると、迷路に迷いこむ誘惑に身をさらすことになる。経験者でないとわかりにくいかもしれないが、迷路の中は意外に居心地がいい。
 酒の誘惑といい、迷路の誘惑といい、物書きの生活は本当に不健康だ。

2007年7月23日月曜日

「ダーウィンの悪夢」

 アフリカンシクリッドと呼ばれる一群の熱帯魚がいる。ビクトリア湖やタンガニーカ湖、マラウイ湖などアフリカの大地溝帯の湖に生息する固有種の総称で、淡水魚なのに海水魚のようにメタリックで色鮮やかな色彩に輝く美しい魚たちで、飼育が難しいことでも有名である。
 普通の湖は数十万年で埋まってしまうが、大地溝帯の湖は常に両側から引っぱられており、数百万年間も独自の環境を保ったので、多種多様な固有種が進化し、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれている。
 そのアフリカンシクリッドが今、危機に直面している。最大の生息地であるビクトリア湖にナイルパーチという外来魚が大繁殖したからだ。「ダーウィンの箱庭」はナイルパーチという闖入者のために弱肉強食の場となってしまった。
 ナイルパーチは最大2mにもなる大型の肉食魚で、白身で味がよいことから高値で取引されている。ビクトリア湖には多くの加工工場ができ、切身をEUや日本に輸出して外貨を稼いでいる。ナイルパーチ産業は多くの雇用をつくりだした反面、矛盾も生んでいる。
 この映画はビクトリア湖周辺に取材したドキュメンタリーで、すさまじい映像が次から次へと登場する。
 ナイルパーチ漁のために周辺の農村から多数の人が集まってきて、漁師村ができているが、その稼ぎをあてこんで売春が横行し、エイズが蔓延している。エイズが発症した漁師は歩けるうちに故郷に追いかえす。死んでからでは死体の運搬費がかかるからだ。エイズで夫を失った寡婦は食べていくために売春婦になり、ますますエイズを広めていく。
 魚の加工工場では大量のアラや骨が出るが、そうした廃棄物は「骨場」と呼ばれる場所に運ばれ、「再利用」される。どう「再利用」されるかは映画を見ていただくしかないが、目を覆いたくなる光景である。
 切身は大型輸送機でEUや日本に輸出されるが、運ぶのはロシアの航空会社である。ロシア人パイロットやパイロット専門らしい高級娼婦のインタビューもある。
 輸送機はヨーロッパからなにも載せずに飛んでくることになっているが、武器を運んでいるという噂が絶えない。しつこく武器輸送について聞かれたパイロットがついに認めてしまう場面もある。
 本作は湖の中だけでなく周辺も弱肉強食の「ダーウィンの悪夢」と化している現状を描いていて、多くの賞を受賞しているが、現地のタンザニアでは批判が出ているという。タンザニア在住やタンザニアに住んだことのある日本人も批判のページを公開している。吉田昌夫氏の2006年10月6日付の記事、根本利通氏の「ダルエスサラーム通り」の第47回と第49回(これが一番詳しい)などである。
 まず、フーベルト・ザウパー監督がドキュメンタリーであることを隠して撮影したことが批判されている。魚加工工場はEUの検査員と身分を偽って取材したそうだし、漁師村には教会関係者という触れこみではいりこんだそうだ。
 第二にナイルパーチが多くの雇用を生んでいる点を無視して、一方的に悪玉に仕立てている点。魚加工工場は外国資本がはいっていると誤解させるような描き方をしているが、インド系やギリシャ系のタンザニア人が経営しているだけで、あくまで現地資本だそうである。
 第三に切身はすべて輸出されているかのようなナレーションがついていたが、実際は現地でも消費されている点。第四にことさら暗黒面ばかり強調して、現地の実情を誤解させる点。第五にアフリカンシクリッドは絶滅したわけではなく、最近は増える徴候が見えていることを伝えていない点など。
 現地の人にとって不本意なのはその通りだろうが、どれも決定的な批判とはいいにくい。誇張があるのは確かだろうが、それを割り引いたとしても、すさまじい事態が進行している事実は動かないのではないか。

2007年7月21日土曜日

同業者としての宮本顕治

 共産党元議長の宮本顕治氏が18日亡くなった(YOMIURI ONLINE、赤旗)。老衰死だそうだが、政治家としてはとっくに過去の人になっていて、赤旗がトップで報じなかったことがニュースになったくらいだ(朝日新聞「宮本氏死去、「赤旗」は1面2番手の扱い」)。
 政治家としての宮本顕治氏については多くの人が語ると思うので、ここでは文芸批評家としての宮本氏についてふれようと思う。
 宮本顕治氏が「改造」の懸賞論文に「敗北の文学」で応募し、小林秀雄の「様々なる意匠」をおさえて一等で当選をはたしたことはよく知られている。宮本氏を紹介した文章には必ず出てくるエピソードだし、小林秀雄を紹介した文章でもよく言及される。
 この機会を逃すと一生読むことはないので、読んでみることにした。テキストは筑摩書房の『現代日本文學大系』54巻を図書館から借りてきた。この巻には青野季吉、蔵原惟人、片山伸ら、左翼評論家の文章が集められており、宮本氏の文学上の位置をはかる上で便利である。なお、書店で入手可能な本としては岩波文庫の『日本近代文学評論選 昭和篇』があるが、「敗北の文学」は前半だけの抄録である。
 芥川龍之介の自殺に触発されて書かれた文章だということは知っていたが、唯物史観の観点から芥川を過去の遺物と決めつけている。こんな具合だ。


 やがて「実践的自己否定」に到達せずには居られない後悔に満ちた自己批判が、末期の氏の中に磅礴している。その批判の中にもインテリゲンチャに課せられた重荷である懐疑や、自尊心から脱することが出来なく、それを決裂に至るまで神経の先に凍らしている。氏こそ、ブルジョア文芸史に類稀な内面的苦悶の紅血を滲ませた悲劇的な高峰であると言えるだろう。それこそ、市民的社会の開花期から凋落期に及ぶ文化的環境に育まれた記念碑的な存在の一つであろう。こうした芥川氏の文学を批判の対象とすることは、単に私の個人的なインテレストのみではなく客観的にも無意味でないことを信じている。

 「実践的自己否定」とは自殺のことだ。悪趣味な言い方だが、これが唯物史観流である。
 「市民社会の凋落期」という言い方に時代を感じる。当時のインテリの間では明日にも社会主義革命が起こってプロレタリアートの時代がはじまると本気で信じられていたのである。今となってはノストラダムスの大予言のようなものだが、唯物史観は科学的な絶対の真理ということになっていたので、インテリの中には保険の意味で共産党にカンパする人が多かった(立花隆の『日本共産党の研究』に抱腹絶倒の話がいろいろ出てくる)。宮本氏が小林秀雄をおさえて一等に選ばれた背景にはこういう風潮があったのである。
 ただし、「敗北の文学」は唯物史観を機械的に適用して終わりというわけではない。宮本氏は青野季吉の「私達は芥川氏を批判することは出来る。だが、芥川氏を捨てて顧みないことは出来ない。自分の中にも芥川氏があり、芥川氏の死があるからである」という言葉を引き、「この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要があろう」と、芥川批判の動機を吐露している。宮本氏は唯物史観を信じながらも実践に踏みきれない自分の弱さを、芥川を鏡として剔抉しようとしたのだ。
 次の条などは宮本氏は明らかに芥川に自分自身を重ねており、リアリティがある。

 学校も彼には薄暗い記憶のみ残すものだった。まことの学校は彼にとって貧困を脱出する救命袋に過ぎなかった。
 彼は本を愛した。智的貪欲を知らない青年は、彼には路傍の人であった。実際、彼の友情はいつも幾分かの愛の中に憎悪を孕んだ情熱だった。けれど友情の標準は智的才能のみではなかった。上層階級に育った青年と握手をする時、いつも針のように彼を刺す階級的差別を感じていた。

 前半部分は心の揺れが出ていて、なかなか読ませる。執筆当時、宮本氏は21歳だったが、若書きにしては達者なものだ。21歳にしか書けない文章かもしれない。
 だが、後半部分になると唯物史観の機械的な適用が多くなり、急につまらなくなる。
 「或阿呆の一生」は親の精神病が自分に遺伝しているのではないかという強迫観念から書かれているが、宮本氏は不眠症の条に「しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社会を!」とあるのに目をとめ、芥川の自殺の原因が社会的なものだったと断定する。

 この「社会」に対する恐れは、具体的に二つのものに分析出来るのである。一つは、いやおうなしに氏を「晴朗の人」に祭り上げて、氏に鎖をかけた古い道徳的雰囲気であり、一つは資本主義の悪をみとめてその中に安住する自身を恥じる心であろう。

 しかし、問題の箇所の「病源」とは不眠症の原因のことであって、芥川は世間の目が気になって眠れないと書いているにすぎない。そこに唯物史観を読みこみ、資本主義の悪に安住する自己欺瞞にまで話を広げるのは無理である。
 宮本氏は芥川の自殺の原因を「「自己」への絶望をもって、社会全般への絶望におくかえる小ブルジョアジイの致命的論理」にもとめる。自殺する少し前に書き、仲間に回覧した「娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは/コムミュニストの棍棒をふりまわせ」という詩を引き、次のように決めつけている。

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるが、そこにもまだ不幸が残っている。
 こう云う世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。氏の文学はこの自己否定の漸次的上昇を具体的に表現しているものだ。虚無的精神も階級社会の発展期においては、ある程度の進歩的意義を持つものであるが、今の我々はそうした役割を氏の文学に尋ねることは出来ない。そう云う意味で、我々は氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ。

 宮本氏のこうした断定こそ、小林秀雄が「様々なる意匠」で批判した「一意匠」のさいたるものだろう。『日本近代文学評論選 昭和篇』には「敗北の文学」の次に「様々なる意匠」が全文収録されていて、久しぶりに読みかえしてみたが、こちらは現在でも十分読みごたえがあった。
 「敗北の文学」の直後に書かれた「過渡時代の道標」という片山伸論に目を通そうとしたが、こちらは唯物史観の機械的適用の見本で途中で放りだした。
 政治家となった後の回想類は平明でおもしろく読めた。肩から力が抜けた印象なのは余技として書いているからか。

2007年7月20日金曜日

「トリノ、24時からの恋人たち」

 トリノはイタリア映画発祥の地だそうで、立派な国立の映画博物館(モーレ・アントネッリアーナ)(日本のフィルムセンターとは大違い)がある。本作はこの映画博物館を舞台にしたファンタジーである。
 マルティーノ(ジョルジョ・バゾッティ)は映画博物館に住みこんで夜警をしている孤独な青年で、深夜、好きなフィルムを勝手に上映したり、倉庫にしまわれている古いカメラを修理して、無声映画風の映画を撮るのが生き甲斐だ。
 ある夜、ハンバーガー・ショップで夜勤をしているアマンダ(フランチェスカ・イナウディ)が上司に火傷をさせて逃げてきて、マルティーノは彼女を映画博物館に匿う。マルティーノは秘かに彼女にあこがれ、隠し撮りしていた。彼は林檎が好物なのに、彼女に会いたいばかりに、毎晩、ハンバーガーを買いに彼女のつとめる店に寄っていた。
 彼女は映画博物館で楽しい日々をすごすが、博物館の外はで警察が彼女の部屋を家宅捜査に来たり、包囲網がじわじわと迫る。
 彼女にはアンジェロ(ファビオ・トロイアーノ)という恋人がいた。アンジェロは自動車泥棒団のボスだったが、アマンダを救うために子分を使って上司を脅し、告訴をとりさげさせる。
 アマンダはやっと自由の身になり、映画博物館を出て部屋にもどるが、彼女はマルティーノを愛しはじめていた。三人の関係はどうなるのか。
 愛すべき小品だが、ちょっと都合がよすぎるところがあって、願望充足映画の臭みがつきまとう。映画への愛を口にすれば許されるとでも思っているのだろうか。

「ダニエラという女」

 オヤジの願望充足映画。寂しい生活を送っていた独身の初老のフランソワ(ベルナール・カンパン)がロトで賞金5億円を手にいれ、飾り窓にすわるダニエラ(モニカ・ベルッチ)に月1500万円で同棲しようともちかける。期限は金がなくなるまでというのが泣かせるが、ダニエラにはシャルリー(ジェラール・ド・パルデュー)というヒモがいてフランソワは恐喝される。
 モニカ・ベルッチがセクシーな衣装をとっかえひっかえするだけの映画だが、崩れた体を見せられても。5年前に撮っていればと思う。
 フランソワ役のカンパンは耳がスポックのように尖っているので、善良な役なのに悪魔っぽい。あれはメーキャップか。