2007年7月4日水曜日

「氷屋来たる」

 新国立劇場小劇場でユージン・オニール作、栗山民也演出の「氷屋来たる」を見た。3時間40分の大作の上に、思いがけず 1時間20分のシアター・トークがついた。7年間芸術総監督をつとめた栗山民也の最後の舞台のためか、シアター・トークには総勢17人の出演者全員が顔をそろえた。見ているだけでも大変だったのに、出演者は本当にご苦労なことである。
 「氷屋来たる」とは奇妙な題名だが、開演1時間ほどしてヒッキーの冗談から妻の浮気相手という意味だったとわかる。ビデオ普及期に「洗濯屋ケンちゃん」という有名な裏ビデオがあったが、あの洗濯屋のようなものか。後半、「氷」のイメージが効いてくるけれども。
 舞台は1912年のニューヨークの安ホテルのロビーで、正面奥の上手側は一段高くなったバー、下手側は階上に通じる階段になっている。ロビーのテーブルにはみすぼらしい身なりの男たちが酔いつぶれて寝ているが、その中にはホテルの主人のハリー(中嶋しゅう)もいる。ハリーは妻を亡くして以来、20年間、一歩もホテルの外に出ずに飲んだくれている。ホテルは市場の男たちが食事にくるので一定の収益があり、ハリーは酔いどれ仲間に居候を許している。
 酔いどれたちにはみな栄光の過去があり、その気になればいつでも今の境遇から抜けだせると称している。収賄で馘になった元警部補のパット(小田豊)は仲間に復職の意志があるとほのめかせばすぐに復帰できるとうそぶいているし、ハーバード出の弁護士のウィリー(大鷹明良)、黒人専門の賭場の元胴元のジョー(二瓶鮫一)、ハリーの義弟でサーカス芸人だったエド(宮島健)も大口をたたいている。元アナキスト雑誌の編集長のヒューゴー(花王おさむ)は独裁者志向を隠さない。しかし、彼らはホテルのロビーを出ようとしない。明日になったら、明日になったらと、一日伸ばしにするだけだ。
 元組合活動家だったラリー(木場勝巳)を訪ねてドン(岡本健一)が西海岸からやって来た話からはじまる。ドンはラリーが依然同棲していた女の息子で、ラリーを父親のように慕っているが、ラリーは迷惑だと突きはなしている。ドンは母親が密告されて警察に逮捕されたと相談するが、ラリーは運動なんか何の意味もないととりつく島がない。
 酔いどれはラリーとドンのやりとりには興味がなく、ハリーの誕生日が近いので、そろそろヒッキー(市村正親)があらわれる頃だと、ヒッキーの話で持ちきりだ。ヒッキーはこのホテルを常宿にする旅まわりのセールスマンで、年に二回、あらわれては気前よく酒をおごってくれるのである。
 ヒッキーは開演から50分後にやっと登場するが、気のいい酔いどれではなく、ロビーの酔いどれたちに伝道師のように説教をたれ、明日が、明日がと一日伸ばしにして自堕落な毎日をつづけている彼らを奮い立たせようとする。
 酔いどれたちは反発するが、ヒッキーの強引な指導とシャンパンの威力で、ラリーとバーテンのロッキー以外、生活の立て直しを約束させられてしまう。ラリーとロッキーがヒッキーに丸めこまれなかったのは、誇るべき過去も、明日の希望もないからだ。ラリーは組合活動をしたことを後悔しているし、ロッキー(たかお鷹)は3人の娼婦をかかえるしがないバーテンだ。ラリーはヒッキーに隠し事があるだろうと逆襲するが、ヒッキーが妻を亡くしたと告白したためにラリーは詫びる。
 二幕前半は酔いどれたちがヒッキーに背中を押され、おっかなびっくり新生活をはじめる姿が見ものだ。もちろんうまくいくはずはなく、夜には現実を思い知らされてホテルにもどってきている。ラリーはヒッキーの妻の死因に疑問をもち、再度逆襲を試みるが、思いがけない真相が明らかになり、物語は急展開する。
 一癖も二癖もある芸達者のオヤジ俳優をそろただけに、酔いどれたち一人一人の背負っている人生が重苦しくわだかまる。すべては元の木阿弥で終わるが、こういうオヤジたちを一人で振りまわすのだから、市村の力業はすごい。
 ヒッキーにシニカルに距離をとりつづけるラリーの木場は一方の極として存在感を発揮するが、ラリーとからむドンの岡本が見劣りする。これはもしかしたら上演台本のせいかもしれない。二幕にはいってからのドンの台詞は不自然なものが多い。完全上演すると6時間近くなるそうで、それを3時間40分に縮めたのだから、つながりがおかしくなっても不思議ではない。
 細部に課題が残ったが、全体としては得がたい演劇体験をさせてくれた。こういう重厚長大な芝居は新国立以外では無理だろう。
 シアタートークはNHKの堀尾アナウンサー(文学座養成所出身だそうな)が司会した。最初の30分ほどは栗山民也のインタビューで、この芝居は登場人物が2人づつペアになっているので、短縮する際、2人削ったと言っていた。なお、1912年はオニール自身が自殺未遂した年だそうである。出演者が多いので○×で答えるという新機軸を試みていた。