2007年11月3日土曜日

「ベルト・モリゾ展」

 損保ジャパン東郷青児美術館でベルト・モリゾ展を見た。すばらしかった。
 ベルト・モリゾはマネの女弟子で、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」など名画のモデルをつとめたことでも有名だが、近年になってもっとも印象派らしい印象派として再評価が著しい。日本では昨年ようやく画集が出版されたところで、大規模な展覧会としてはこれが最初である。なお、画集は一冊だけなのに、評伝はドミニク・ボナの『黒衣の女ベルト・モリゾ』と坂上桂子の『ベルト・モリゾ―ある女性画家の生きた近代』の二冊が出ている。作品よりも人物に対する興味が先行している段階のようである。
 彼女はマネの弟のウジェーヌと結婚し、ジュリーという娘をもうけているが、ジュリーを描いた絵が柱となっており、赤ん坊の頃から成人するまで、ほぼ成長を追って展示されていた。母になる前の絵はところどころ才気走ってはいるが、それほどおもしろくない。彼女の才能が本当に開花するのは母になってかららしい。
 ジュリーは母親に匹敵する美貌のもちぬしで、絵から絵に移るにしたがい、愛くるしい少女から臈たけた娘へと開花していく。十代後半のジュリーを描いた「夢見るジュリー」は白いドレスに長い髪を垂らし、物憂げな視線をこちらに投げる。象徴派の世界である。白鳥がよく出てくるのも、象徴派の影響だろうか。
 羊飼の娘のヌードの油彩と下描きがあった。麦わら帽子をかぶり、地面に伏せて横たわった姿だ。顔をはっきり描いておらず、ジュリーの年齢と近いところからひょっとしたらと思ったが、図録を見るとガブリエル・デュフールという娘がモデルだそうである。自分の娘と近い年齢の少女をモデルに選ぶというのはどういうことなのだろう。
 晩年はタッチが大胆になり、ほとんど走り描きに近く、軽みの境地を感じさせる。後期印象派とは対蹠的だが、印象派の初発の方向を突きつめるとこうなるのかもしれない。
 ウジェーヌの死後、マラルメがジュリーの後見人をつとめたことからもわかるように、彼女はフランス象徴派の詩人たちと親しかった。ジュリーと姉妹のように育った従姉妹のジャンニはマラルメの弟子のヴァレリーと結婚している。描かれている日常風景を見るとモリゾ家もマネ家も大ブルジョワであって、ヴァレリーが今でいう逆玉婚といわれていたのは事実だったのだなと思った。ヴァレリーは国葬をもって送られるほどのフランス文化の代表者となるが、『若きパルク』で文壇に再デビューするまでは目立たない安月給とりにすぎなかった。こんな華麗な一族の中ではさぞ肩身が狭かっただろう。