2007年10月31日水曜日

「自虐の詩」

 業田良家の漫画を堤幸彦が映画化。「自虐」は「あい」とも読む。
 非現実的なくらい不幸な女性を中谷美紀がまたもコミカルに演じていて、『嫌われ松子の一生』と完全にかぶっている。中谷美紀はマゾなのかと疑いたくなるが、映画としてはこちらの方が格段におもしろい。堤幸彦作品の中でも一番いい(というか、はじめておもしろいと思った)。
 物語は幸江の中校時代からはじまる。幸江は貧しい家計を助けるために新聞配達をしていたが、家にもどってみると警察の車が。父親(西田敏行)がまぬけな銀行強盗をやって逮捕されたのだ。犯罪者の娘になってしまった幸江は気仙沼にいられなくなり、唯一の親友である熊本さんに見送られて上京する。
 十数年後、幸江は元ヤクザのイサオ(阿部寛)と、大阪の通天閣の見える下町で暮らしている。イサオはパチンコ三昧で働かず、気にいらないことがあるとすぐに卓袱台をひっくりかえす。幸江はラーメン屋でアルバイトをして、ひたすらイサオに尽くしている。
 どん底話と平行してイサオとのなれそめが語られるが、どちらも予想通りのベタな話である。意外性はまったくないが、それでもおもしろいのは中谷美紀の不器用さというか社会との異和感が画面ににじみでているからだと思う。彼女は柴咲コウとよく間違えられるそうだが、柴咲コウがこの役をやったらウソになってしまう。この映画は中谷美紀だからこそ成立している。
 DVDは来年3月発売だが、中谷美紀の撮影日記とナビゲートDVDが出ている。

2007年10月30日火曜日

「たとえば野に咲く花のように」

 新国立劇場中劇場で鄭義信作、鈴木裕美演出の「たとえば野に咲く花のように」を見た。
 新国立劇場は今年7月、芸術監督が栗山民也から鵜山仁に交代したのを機に「三つの悲劇」と題して、ギリシャ悲劇を現代日本に翻案した新作三本を上演する。「たとえば野に咲く花のように」はその第二作にあたる。
 舞台は1951年夏の九州の場末のダンスホール。下手に玄関。中央下手寄りに大きな階段。上手寄りにバーのカウンター。上手には窓が大きく切られている。二階はダンサーたちの個室で、そこで客をとるようになっている。
 港町という設定で、町は朝鮮戦争特需で景気がいいが、表通りに特需成金の安部康雄(永島敏行)が立派なダンスホールを開店したので、こちらは閑古鳥が鳴いている。ダンサーは三人に減り、マザコン気味の自衛隊員など、常連にたよって細々と営業している。
 ヒロインの安満喜(七瀬なつみ)は弟と二人暮らしだが、弟は戦時中、憲兵だった引け目から北朝鮮に肩入れし、米軍妨害工作にくわわっている。
 ある夜、弟の仲間がライバル店の支配人の直也とオーナーの康雄に追われてダンスホールに逃げこんでくる。満喜は彼をかくまい、一歩も引かずに毅然と応対するが、康雄は満喜の気っ風に惚れ、毎晩通ってくるようになる。
 康雄は満喜に結婚を迫るまでになるが、満喜は日本軍に志願して南方で死んだ婚約者が忘れられず、申し出をはねつける。
 康雄の婚約者のあかね(田畑智子)は康雄の心変わりにアル中になり、店に怒鳴りこんできたりするが、まともにとりあってもらえない。あかねを慕う直也はあかねの心中を察して、康雄に刃を向けるが……。
 ラストは意外にもハッピーエンド。三人のダンサーはそれぞれ妊娠してダンスホールを去っていく。女はたくましい。
「アンドロマケ」をもとにしているというが、どこが「アンドロマケ」なのか首をかしげた。朝鮮戦争で儲けた成金と朝鮮人娼婦の話なので、まったく無関係とまではいわないが、当時の在日韓国・朝鮮人は自分たちを戦勝国の一員と思いこんで傍若無人にふるまっていたわけで、亡国の王妃に見立てるのは話が違う。
 しかし、朝鮮戦争当時の荒くれた世相を描いた風俗劇としてはよくできている。あれこれあっても、結末は希望を感じさせる。
七瀬なつみは鉄火肌の娼婦を熱演し、新境地を開いた。出番はすくなかったが、アル中のお嬢様を演じた田畑智子の可愛らしさは特筆したい。彼女のためだったら、直也が狂うのも無理はない。

2007年10月25日木曜日

情報通信法、官の言い分

 ICPFセミナー「通信・放送の総合的な法体系を目指して」を聴講してきた。講師は情報通信法を担当する総務省情報通信政策局総合政策課長の鈴木茂樹氏で、やる気むんむんというか、50年に一度の大改革を手がける喜びに舞いあがっている印象を受けた。制度をゼロから設計する機会にめぐりあえたのは役人冥利に尽きるといったところか。
 鈴木氏は情報通信法はあくまでもIT産業振興のための規制緩和であり、新たな規制でしばろうとするものではないと熱弁をふるった。レイヤー型法体系という世界最先端の法体系を整備することで日本のIT産業が復活すれば、他の国も日本に倣うようになり、いち早くレイヤー型法体系に慣れた日本企業の国際競争力が高まるとも説いていた。ほとんど新制度のセールスマンである。
 講演の部分はどこかで読んだような話ばかりで新味はなかったが、質疑応答はおもしろかった。
 まず、資料中の怪しげな数字に突っこみがはいった。鈴木氏の講演は日本のIT産業に対する危機感を煽り、その処方箋として情報通信法を持ちだすという趣向になっているので、資料にはセールストークというか、素人だましの数字がまじっているのである。今回配布された資料は他の機会でも使われてきたと思われるが、具体的な指摘に鈴木氏はあわてていた。
 こんなドラスティックな改革が本当にできるのかと先行を疑問視する声も出た。講演では各界から寄せられたパブリック・コメントの傾向が紹介されていたが、中でも放送界は警戒感を隠さず、断固反対の構えのようである。鈴木氏は放送界について、地方局は遠からずやっていけなくなるという意味の見通しを語った。県域免許制の矛盾は多くの人が指摘しているが、総務省の担当者自身が婉曲ながら、地方局の自滅の可能性に触れた意味は重い。
 コンテンツ規制や著作権については情報通信法の範囲外といわんばかりの答えをしていた。
 情報通信法は産業政策だとしきりに強調していたが、では遅れた法体系で動いているアメリカがなぜ強いのか。レイヤー型法体系に変えて、本当に産業振興になるのか。その辺りの明確な答えはなかった。

2007年10月24日水曜日

「毛皮のエロス」

 女流写真家ダイアン・アーバスの生涯を題材に、勝手な妄想をくりひろげた贋伝記映画である。パトリシア・ボズワースの『炎のごとく―写真家ダイアン・アーバス』が原作ということになってはいるが、半分以上はフィクションといっていい。
 ダイアン(作中では「ディアン」と発音)は百貨店主の娘として生まれて何不自由なく育ち、ファッション写真家のアラン(タイ・バーレル)と結婚してからは撮影のアシスタントをつとめ、二人の娘を育てるという、健全きわまりないアメリカ女性だった。
 しかし、良妻賢母の生活だけではエネルギーをもてあまし、彼女はしだいに気鬱に陥っていった。
 そんな時、一つ上の階にライオネル(ロバート・ダウニーJr)という謎の男が越してくる。夏なのにコートを着こみ、目出し帽のようなマスクをかぶり、こっそり出入する。しかも、奇型の客が人目を避けてしょっちゅう訪問しているらしい。
 彼女はライオネルの正体をさぐろうとし、多毛症という奇型であることをつきとめるが、その頃には彼に引かれるようになっていた。彼女は精神的な不倫関係におちいり、フリークスの世界に導かれていった。
 健康なアメリカ女性が異形の男に惚れたばかりに頽廃の世界にのめりこんでいったというストーリーになっているが、これはニコール・キッドマン主演を前提にした当て書きだろう。
 実際のダイアンはニコール・キッドマンとは似ても似つかない東欧ユダヤ人の顔をしていて、大きな愁いを帯びた眼はカフカを思わせないではない。ダイアンの兄はハワード・ネメロフという一家をなした詩人であり、一族には気鬱症をもっている者が多いというから、芸術的天分というか病気の要素は生来のものといえよう。
 困ったことに、この映画、かなりおもしろいのである。ダイアン・アーバスはこの映画のような女性だったと誤解する人が増えそうだ。ダイアンの遺族は伝記の類をかたくなに拒否しているということだが、よくこの映画を許可したものだ。
 彼女の作品集は筑摩から出ていたが、現在は絶版である。アメリカ版なら"An Aperture Monograph"、"Magazine Work"などがペーパーバックで入手できる。

「ボッスン・ナップ」

 黒人英語で娼婦の元締のことを「ピンプ」というが、そのピンプの一代記である。主演のスヌープ・ドッグはラップ界のスーパースターだそうである。ラップはまったくわからないが、この映画はおもしろい。
 コーデー(ドッグ)はしがないスーパーの店員だったが、なぜか女にはもてた。ある日、オレンジ・ジュース(ホーソーン・ジェームズ)という高名なピンプが豪華なリムジンを乗りつけてきてコーデーを招ききれ、お前にはピンプの才能がある、これはという女を見つけたら力になってやってもいいと申しでる。
 コーデーはシャルドネ(シラエ・アンダーソン)という上玉の女と出会い、ピンプになる決心をする。オレンジ・ジュースの教えを忠実に守り、かかえる娼婦をどんどん増やして業界の注目を集め、ピンプの全米大会でその年の最優秀ピンプに選ばれるまでになる。
 成功とともに慢心が生まれる。女に本気で惚れるなというオレンジ・ジュースの教えを破り、シャルドネと結婚を決意したのだ。二人で街を出ようと矢先、悲劇が起こる。かつてコーデーに娼婦を奪われたピンプがシャルドネを刺し殺したのだ。コーデーはシャルドネの仇をとり、殺人罪で下獄する。獄中で歌う悲しみと悔恨の歌は泣かせる。
 コーデーと喧嘩別れしたオレンジ・ジュースは腑抜けのようになって出所してきた彼をあたたかくむかえる。コーデーは再びピンプ稼業をはじめ、オレンジ・ジュースの片腕となって後進を指導する立場になる。
 オレンジ・ジュース役のジェームズはピンプ界のヨーダという貫禄で、かっこいい。ピンプ道なんてあるはずもないが、あるかのように大真面目に作っているところが笑える。
 黒人しか出てこない映画で、全編ブラック・ミュージックが横溢している。ゴージャスさと安っぽさがいりまじり、ギトギトに脂っこくて最初は戸惑ったが、すぐに引きこまれた。愛すべき小品といえよう。


2007年10月23日火曜日

「NARA:奈良美智との旅の記録」

 不機嫌な少女像でおなじみの画家、奈良美智のドキュメンタリーで、2005年6月のソウルの個展から2006年7-10月に青森県弘前市で開催された「A to Z」展にいたる500日間を追っている。この間に奈良は横浜、ニューヨーク、大阪、ロンドン、バンコクで個展を開き、さらにアトリエを引っ越している。
 アトリエといっても、陽光の燦々とはいるアトリエを想像してはいけない。ニューヨークのアーティストが使っているようなだだっ広い倉庫ともちがう。商店街の空き店舗を借りているらしく、出入り口は引きあげ式のシャッターだ。壁は広いが、雑然としている。外光ははいらず、しけた蛍光灯をつけて仕事をしている。
 村上隆のアトリエを紹介したTVを見たことがあるが、助手がたくさんいて工務店の作業場みたいに活気があった。村上隆は中小企業の社長のように貫禄たっぷりだったが、奈良は一人だけで刷毛を動かし、しばしば考えこみ、学生のように自信なさげだ。
 製作は孤独な作業だが、個展はちがう。会場スタッフや観客が係わってくるのはもちろんだが、奈良の場合、会場の中に小屋を作り、その中に展示するスタイルをとるようになったので、小屋を作るスタッフが参加しているのだ。
 小屋の製作は grafという大阪に本拠をおく会社が担当している。grafは「クリエイティブユニット」を名乗っているが、ふだんはおしゃれなレストランやバーの内装を手がけているらしい。個展の準備がはじまると、grafの豊嶋は奈良にマネージャーのようにつきそっている。grafのスタッフは若く、学生サークルの延長のように見えなくはない。
 さて、「A to Z」展である。この展覧会は奈良の故郷である弘前市で開かれた。会場となったのは酒造会社の煉瓦造りの倉庫で、架空の街並を作りあげるという、小屋を使った展示の集大成というべきものだったようだ。grafだけではできないので、全国からボランティアを募り延べ4600人が参加したそうだが、映像で見る限り、ほとんど学園祭のノリだ。奈良の作品は一枚数千万円はくだらないらしいが、こんなに日常的な場所で作られていたのである。
 ファンとの交流場面が出てくるが、まったくアイドル化している。特に韓国の女性ファンはミーハー気質まるだしだ。彼らは絵は買えなくても、奈良グッズをどっさり買っていく。
 村上隆の作品もそうだが、奈良も複製時代の申し子で、アウラなしの作品で勝負しているということか。

「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」

 建築家フランク・ゲーリーのドキュメンタリーで、親友のシドニー・ポラック監督が自らビデオカメラをまわしているが、映画館で見るほどの出来ではなかった。
 フランク・ゲーリーが何者か知識なしに見たが、助手に指示して紙で模型を作らせ、それを修正させていく。修正も自分で手を出すことはめったになく、言葉で指示して助手にやらせている。大家だから自分で図面を引くことはないと思っていたが、なにからなにまで助手まかせだった。
 紹介されるゲーリーの建築はどれも変わった形をしているが、若い頃は当然、仕事の依頼がなく、運転手をやって糊口をしのいだり、突飛な自宅を設計してアピールしたりといろいろあったようだ。ゲーリーの建築を愛するというセレブたちがインタビューに答えているが、みな俗臭芬々である。建築という世界は俗っぽくなくてはやっていけないのだろう。

2007年10月22日月曜日

ダーリンはユダヤ人?

 最近、NHK BS2の「奥さまは魔女」にはまっている。4月くらいに第1シーズンから放映をはじめたらしいが、7月に気づき、以来、録画して見ている。
 白黒時代の初放映時に最初の方は見ているが、今見ても最高に面白い。半世紀近くも前に、カラーでこんなTVドラマを作っていたことに驚かされる。アメリカでは途切れることなく延々と再放送をくりかえしているそうだが、それもうなづける。
 今、タバサがよちよち歩きをはじめたところだが、アダムという男の子も産まれるようだ。全254話もあるそうで、昔見たのは第3シーズンくらいまでだったと思う。お向かいのグラディスさんの女優が交代したことは憶えているが(最初のアリス・ピアースが断然よかった)、ダーリン役のディック・ヨークが降板したのは知らなかった。驚いたことに、成長したタバサを主人公にした番外編まで作られていた。
 一つ、気になっていることがある。スティーブンス家の玄関の脇に大きな七枝燭台が飾ってあることだ。ダーリンはユダヤ人という設定だったのだろうか。
 いろいろ検索したが、そういう指摘をしているページは見つからなかった。七枝燭台は統一協会も使っていることがわかったが、スティーブンス家には多宝塔や壺は見当たらないし、1964年という製作年代を考えると、ダーリンとサマンサが合同結婚式で結ばれた可能性はないと思う。
 となると、ダーリンはやはりユダヤ人か。アメリカは進化論裁判の国なので、いくらコメディでも、キリスト教徒と魔女を結婚させることにはさわりがあるということだろうか。
 「奥さまは魔女」の蘊蓄を集めた『「奥さまは魔女」よ、永遠に』という本が邦訳されているそうだが、それを読めばはっきりするのだろうか(邦訳は絶版なので原書を読むしかないが)。英語では"The Magic Of Bewitched Trivia And More"という本も出ているようだ。英語となると、ちょっと億劫である。誰か知っている人がいたら教えてほしい。

「長江哀歌」

 「世界」の賈樟柯監督のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。「世界」は北京に出てきた若者の話で、それなりに希望があったが、こちらは三峡ダムで建設ラッシュにわく地域に人探しに来た中年男女の話。題名からすると長江の雄大な景色が出てきそうだが、埃と汗の臭いの立ちこめる工事現場や貧民街ばかりで、観光映画的な趣向はまったくない。
 山西省の炭鉱で働くハン・サンミンは16年前に出ていった妻の実家を尋ねて長江の村にやってくるが、そこはすでに湖の底に沈んでいた。サンミンはダム湖際の安宿に泊まり、飯場で働きながら妻と一人娘を探そうとする。やっと船で働く妻の兄を見つけるが、けんもほろろに追いかえされる。サンミンの妻は嫁不足から金で買った妻で、田舎の暮らしに耐えられず、実家に逃げ帰った経緯があるからだ。娘にどうしても会いたいというサンミンに、義兄はあれはお前の子供ではないと言い放つ。それでもサンミンは娘に会いたいという気持ちを断ち切れない。
 一方、やはり山西省で看護婦をしているシェン・ホンが出稼ぎにいったまま音信の途絶えた夫を探しに長江へやってくる。ホンは夫の軍隊時代の親友のワン・トンミンを訪ね、夫の職場に案内されるが、多忙を理由に会ってもらえない。夫はやり手の女社長に気にいられ、不動産デベロッパーの現地責任者に抜擢されていたが、違法の住民立ち退きなど阿漕な仕事に手を染めていた。ホンはそんな事情は知らず、会おうとしない夫に不安をつのらせる。
 国家プロジェクトの進む三峡地域には多くの寄る辺ない人が吹きよせられてきて、貧富の格差が剥きだしになっている。取り壊しと建設とマネーゲームで人心はすさんでいるが、それでも人情がわずかに残っていて、賈監督は二人の外来者の目を通して、そのわずかに残った人情を描いている。真面目に作られているが、「世界」のような華はなく、疲労感ばかりが残った。

2007年10月21日日曜日

「日本SFの50年」

 NHKのETV特集で「日本SFの50年」が放映された。50年というのは「宇宙塵」創刊から50年なのであるが、日本SF作家クラブの活動を中心にしていた。
 番組は福島正実=石川喬司が原型を作った日本SF史をなぞる形で進行したが、最初の場面は故大伴昌司氏の旧宅だった(書斎が生前そのままに保存されている!)。
 大伴昌司氏は「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の企画に係わったオタク文化の父ともいえる人である。大伴氏の仕事は多岐にわたるが、中でも少年サンデーの巻頭二色ページを飾った怪獣の解剖図鑑は人気を博し、最近も復刻版が出ている。亡くなったのは1973年だが、荒俣宏の『奇っ怪紳士録』にとりあげられたり、『OHの肖像』という評伝が出ていたりするので、若い人の間でも知られているだろう。
 番組はアニメやマンガ、ゲームなど、世界を席巻する日本のオタク文化の形成にSF作家たちがどのように係わったかをテーマにしていたから、大伴氏に注目したのは正解だが、SF作家が小説以外の分野に向かったのは文壇で無視されたのが一因だった。「士農工商犬SF」とは当時のSF人の自嘲まじりの口癖だった。SF作家のホームグラウンドはSFマガジンであり、星新一を別にすると単行本は早川書房からしか出せない時代があったのである。
 それだけにSF作家クラブは強く団結していた。わたしがSFマガジンを買いはじめたのは1967年からだったが、SF作家クラブの動向がよく載ったし、SFが「迫害」される事例があると、福島正実がすかさず「日記」に被害者意識まるだしの反論を書いたものだった。
 SF作家の団結が頂点をむかえたのは1970年の大阪万博にあわせて開催された「国際SFシンポジュウム」だった。わたしは当時、高校生だったが、科学技術館ホールで開かれたイベントにいき、生クラークや生メリルの挨拶を聞き、野田大元帥演出のブラッドベリの詩の朗読に晴れがましい気持ちになった。万博の企画にSF作家が動員されたということもあるが、設立からわずか7年のSF作家クラブによくあれだけのシンポジュウムが開けたものである。
 その後に「拡散と浸透」の時代がくる。万博を通じて社会的地歩をえたSF作家たちは肩を寄せあう必要なくなり、夫々独自の道を歩みだしたわけだ。
 筒井康隆氏が威信をかけて開いた1974年の神戸SF大会にはワセダミステリクラブの仲間たちとともに参加したが、その時のテーマが「SF、その拡散と浸透」だった。当時は「SFの危機」と大真面目に考えられていたが、今にして思えば、手塩にかけて育てた作家が大出版社に流出したという「早川書房の危機」にすぎなかった。
 今回の番組は基本的に福島正実=石川喬司のハヤカワ史観をなぞっていたが、大伴昌司氏というもう一つの軸を設定したことで、ハヤカワ史観では見えなかったSF作家たちの小説以外の活動に光をあてていたことは評価したい。