2007年9月28日金曜日

「怪獣と美術」展

 三鷹市美術ギャラリーで「怪獣と美術」展を見た。
 「ウルトラQ」以来、怪獣をデザインしてきた成田亨氏(1929-2002)の業績を美術として再評価しようという展覧会で、成田氏とともに怪獣製作をおこなってきた高山良策氏、現役で活躍中の池谷仙克氏、原口智生氏の作品もくわえ、160点もの作品が展示されている。作品はすべてが怪獣関係ではなく、美術家として製作した彫刻や絵画もふくまれている。
 意欲的な企画だと思うが、怪獣関連作品はデッサンと石膏のモデル、ミニチュアが主で、撮影に使われた完成形はなく拍子抜けであった。怪獣博士のような人にとってはお宝ぞろいなのだろうが、ちょっと興味がある程度の人間には地味すぎる内容である。
 それでも、知っているキャラクターの展示は興味深かった。
 成田氏はウルトラマンのデザインもおこなっていて、初期のプランが二点あったが、最終的な形態とは似ても似つかぬ怪獣顔で唖然とした。あそこまで違うとなると、ウルトラマンのコンセプトが固まるまでにかなりの紆余曲折があったことが推察される。
 バルタン星人がもともとは蟬型宇宙人として構想されていたことも意外だった。当然、手はハサミではない。成田氏はザリガニ型宇宙人になってからも、手をハサミにするのは反対だったそうで、ハサミではない案を残している。
 ウルトラセブンには肩に鎧のような飾りがついているが、中にはいる役者の背が高く、オリジナルのデザインでは間が抜けて見えるので、アクセントに鎧をつけたのだそうである。
 特撮のデザインは一人がやったものではなく、集団創作と考えた方がいいようだ。成田氏は作家性を抑圧されることで、すばらしい仕事を残したのかもしれない。
 怪獣とは関係のない彫刻が展示されていたが、よくわからなかった。グロテスクさはウルトラマンの最初の案に通じるかもしれない。
 晩年に描いた二点のカネゴンの絵は印象に残った。土管の上に腰かけ、夕日を眺めているカネゴンの姿には昭和ノスタルジーの味があった。
 高山、池谷、原口三氏の作品は、知らない怪獣ばかりで、わたしにとっては猫に小判だった。

2007年9月23日日曜日

「武部本一郎」展

 弥生美術館で「紙芝居からSFアートまで 武部本一郎展」を見た。
 展示は一階と二階にわかれ、二階はエドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」以降、一階はそれ以前である。
 一階は紙芝居からはじまっている。印刷ではなく、絵具で描いた上からニスをかけて補強している。実際に口演に使われたそうだが、保存状態はいい。
 つづいて貸本マンガと絵物語がくるが、この頃、武部夫人がGHQの通訳をやっていた関係で、アメリカ軍の軍人からよく肖像画を依頼されたという。
 その経験が役に立ったのか、翻訳物の児童書の挿画が増えてきて、エキゾチックな武部調がしだいにはっきりしてくる。
 児童書の挿絵は多い上に多ジャンルにおよんでいるが、意外だったのはSFの挿画を早くから手がけていたことだ。なんと、「ターザン」まで描いていた。通説では『火星のプリンセス』ではじめてSFと出会ったことになっていたが、そうではなかったのである。
 ホームズやベリヤーエフには見覚えがあった。どうやら「火星シリーズ」以前から武部の挿画を見ていたらしい。
 二階はいよいよSFアート時代である。最初に「火星シリーズ」、次に「金星シリーズ」、そして「ペルシダー・シリーズ」、「月シリーズ」、「ターザン・シリーズ」とバローズ作品がならび、他の作家の挿画がつづく。
 文庫の挿画なので原画は大きくはないだろうと思っていたが、B5くらいあり、実に細密に描かれている。
 武部は「火星シリーズ」の成功で一躍SFアートの第一人者となるが、1970年代にはいるとマンネリになってくる。一番脂が乗っていたのは「火星シリーズ」前半と「金星シリーズ」だと思う。特に「金星シリーズ」はいい。武部の最高傑作はなにかときかれたら、『金星の火の女神』のドゥーアーレーを描いた口絵をあげるだろう(「エドガー・ライス・バローズのSF冒険世界」で見ることができる)。
 「火星シリーズ」は全巻読んだが、「金星シリーズ」は武部の挿画が目的で買ったものの、中味を読んだ記憶はない。多分、読んでいないだろう。読んでみたくなったが、すでに絶版になっていた。
 図録の代わりの「挿絵画家武部本一郎」という小冊子を買ったところ、『武部本一郎少年SF挿絵原画集』を編纂した大橋博之氏による小伝があった。これを読むと、通説は間違いだらけだったことがわかる。これまでの武部像は「火星シリーズ」の訳者で東京創元新社の取締役だった厚木淳氏の紹介文で作られた部分が大きかったが、厚木氏と武部氏の関係には微妙なものがあったらしい。
 武部の画集としては大橋氏編纂のものと加藤直之氏による『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』が入手可能だが、岩崎書店から出ていた三巻本はとうに絶版で、古書店で高値をつけているようだ。東京創元新社から限定版で出た画集となると、20万円以上するらしい。ファンは多いのである。
 二転三転していた「火星シリーズ」の映画化がいよいよ本決まりになったようだ。eiga.comによると、製作はピクサーがてがけ、「ロジャー・ラビット」のようなアニメーションと実写を合成した作品になるらしい。デジャー・ソリスは女優が演じると思うが、誰がやるのだろうか。赤色人はネイティブ・アメリカンがモデルだから、武部が描いたような東洋系の顔でもおかしくないはずだが、そうはなるまい。誰がやるにしろ、日本のバローズ・ファンは武部のデジャー・ソリスが動きだすのでない限り納得しないが。

「脳が地震を予知する!?」

 テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」で「脳が地震を予知する!?」が放映された。
 地震の前にナマズが騒ぐとか、鼠がいなくなるとかいった前兆現象が起こることが伝承として伝えられているが、これまでは迷信で片づけられ、一部の好事家が興味をもつにとどまっていた。しかし、計測技術の進歩によって前兆現象を科学的に検証しようという試みがはじまり、徐々に成果が出てきているという内容である。
 前半では生物前兆現象を利用した中国の地震予知体制とスマトラ沖地震の際の生物の異常行動を紹介していた。
 スマトラ沖地震の際には、津波の到達する数時間前にスリランカの低地にいた象が鎖を引きちぎって高地に避難し、一頭も難に遭わなかった事例がニュースになった。象は人間の耳には聞こえない超低周波でコミュニケーションをとっており、津波の発する超低周波をいち早く感知したと説明されているが、実は地震の4日前から、ヤーラ国立公園の象の群れに異常行動が見られたというのだ。もし地震の前兆として超低周波が出ていたとしても、スリランカは震源から1600kmも離れており、それだけでは説明がつかない。
 番組では大地震の直前に震源付近で起こる小規模な岩石破壊で発生する電磁波を生物が感知しているのではないかという山中千博氏の仮説をもとに、実験室で岩石を破壊した時に発生する電磁波と同じ波形の電磁波を象にあてたところ、象はあわてだし超低周波の警戒音を発することを確認した。生物の前兆現象を研究している中国の研究機関にも同じ装置を持ちこみ、さまざまな生物に電磁波をあてたところ、やはり顕著な反応があった。
 後半では人間で同じ実験を試みていた。大地震の数日前に耳鳴りがするという福岡博さんと江口香織さん、対象群として東海大学医学部の学生に実験室で岩石を破壊した際に発生する電磁波と同じ波形の電磁波をあて、光トポグラフィーで脳の反応を計測したところ、福岡さんと江口さんの脳の聴覚野に反応が起き、耳への圧迫感も再現された。
 次に実際の地震の前に観測された電磁波の波形をあてたところ、さらにはっきりした反応があらわれ、しかも学生の脳にも反応が見られた。学生自身は耳鳴りも圧迫感も感じていなかったが、脳は電磁波に反応していたのである。
 鈍いか鋭いかという程度の差こそあれ、人間の脳には地震の前兆の電磁波を感知する能力がそなわっているらしい。地震は生存の危機に直結するわけで、長い進化の中でそうした能力が発達したとしても不思議はない。
 野口整体では地震の数日前から心臓病が悪化すると言っていたが、あながち根拠のない話でもなかったのかもしれない。

2007年9月22日土曜日

「勅使河原宏展」

 埼玉近代美術館で「勅使河原宏展-限りなき越境の軌跡」を見た。
 勅使河原宏氏は安部公房作品を映画化しただけでなく、敗戦直後に「世紀の会」を結成し、ともに前衛芸術運動を推進してきた仲間だった。家元継承後は陶芸や竹のインスタレーションに力をいれ、映画も「利休」、「豪姫」と伝統回帰した印象があったが、今回の展覧会を見て、最後まで前衛をつらぬいていたこと知った。
 入口をはいると、Ω型に曲げた竹をつらねたトンネルを歩いて展示場に導かれるのであるが、カーブしているせいか屋内とは思えないくらい長く感じた。聞けば30mもあるという。
 第一室は活花だが、なまものだけに写真展示が主だった。活花はわからないが、未来建築のような印象である。こういうものが部屋に飾ってあったら、落ちつかないだろう。
 第二室は竹のインスタレーション。写真と記録映画が主だが、物量を投入した野外展示のすごさに度肝を抜かれた。膨大な数の青竹が整然とならべられ曲げられているが、内側の反発力が頑強なしなりを生み、一本一本が激しく自己主張している。竹は単なる素材以上のものになっている。実物を見たかった。
 映画は「勅使河原宏の世界」としてDVD化されているが、竹のインスタレーションの映像は今のところ発売されていないようだ。ぜひDVD化してほしいと思う。
 第三室は「利休」に捧げた書と陶芸。竹をそのまま炭に焼いたような黒い肌の焼物が多く、いかにも前衛芸術という印象だ。豪快というべきなのだろうが、正直いって、この部屋の作品はわからない。
 第四室は映画監督と草月プロデューサーとしての勅使河原。室の入口で「砂の女」、「他人の顔」、「おとし穴」の予告編をエンドレスで上映しているが、つい見いってしまった。
 脚本や絵コンテ、セットの設計図などの資料類が中心だが、「他人の顔」関係が多い。細く尖らした鉛筆で書いたとおぼしい細心精密な筆致で、第一室から第三室までの豪放磊落な印象とは180度違う。
 「他人の顔」の診察室に出てきたアクリル板の間に人体の部分をはさんだオブジェの実物が展示されていた。画面では安っぽく見えたが、実物は一個の芸術作品である。手や足は実物大で、人体を形どりしてレジンを流しこんだのかと思ったが、近くで見ると筋肉や皮膚の凹凸が誇張されているのがわかる。
 「砂の女」関係資料は青焼きの図面二枚と、カンヌの賞状しかなかった。残っていないということだろうか。カンヌの賞状は二つ折りで、左側は水彩とおぼしい絵で、それ自体、一つの作品といっていいくらいのものだった。
 第五室は「世紀の会」時代の作品で、安部公房ファンには一番興味深い部屋だ。
 勅使河原は芸大の日本画科出身だが、なぜか油彩ばかり、それもタンギーを思わせる絵など最初から前衛していた。安部公房の医学部卒業のようなものか。
 「世紀の会」は「世紀群」という機関誌を出していたが、その実物が展示されている。プロの手になると思われる謄写印刷で保存状態がいい。安部公房は第四号に「魔法のチョーク」を寄稿しているが、その挿画が勅使河原なのである。貼込で、手彩色らしく実に鮮かだ。

2007年9月20日木曜日

「14歳」

 深刻かつ疲れる映画である。
 最初に女子中学生が教師を刺す場面があるが、その中学生は成人して中学教師になっている。深津稜(並木愛枝)26歳である。
 深津の同級生でピアノをやっていた杉野浩一(監督もつとめている廣末哲万)は音楽をあきらめて技術者になっているが、会社の社長に頼まれて息子の雨宮大樹(染谷将大)にピアノを教えることになる。大樹は深津の教え子でもある。
 深津の担任するクラスを中心に話が進むが、鬱屈をかかえた爆発寸前の生徒ばかり。深津自身、カウンセラーに通いながら教師をつづけている(オイオイ)。
 いろいろ深刻に悩んでいるが、まったく理解できない。今の14歳が本当にこうなのかどうかは知らないが、勝手に狂ってくれという感じだ。

「神童」

 さそうあきらのマンガの映画化。八百屋の息子で音大浪人生のワオ(松山ケンイチ)と、天才ピアノ少女うた(成海璃子)が出会い、互いに刺激しあう話らしい。
 原作は評判がいいらしいが、映画はお粗末で支離滅裂。
 しかし、最後まで見てしまったのは成海璃子がすばらしかったからだ。映画はゴミなのに、彼女の存在感にねじ伏せられてしまった。成海璃子が神童であることを証明したことだけに意義のある映画といえる。

2007年9月19日水曜日

「アメリカ人はどこから来たのか」

 NHKの「地球ドラマチック」で英国グラナダTV製作の「アメリカ人はどこから来たのか」が放映された。
 アメリカ先住民は氷河期にベーリンジア(海面低下で陸続きになったベーリング海峡のこと)を通ってアラスカに移住した新モンゴロイドの子孫と考えられている。氷河期のアラスカはツンドラ地帯で狩猟生活ができたが、カナダにあたる地域には広大な氷河が広がり、1万2千年前にロッキー山脈東側に無氷回廊が出現するまでは人類の進出を阻んでいた。定説にしたがえば、1万2千年以前にはアラスカ以外の南北アメリカ大陸には人類は住んでいなかったことになる。
 しかし、近年、南北アメリカ大陸に数万年前の人類の痕跡が次々と発見されている。彼らは寒冷地適応した新モンゴロイドではなく、縄文人に近い旧モンゴロイドだったらしい。
 もし縄文人だとしたら、千島列島からアリューシャン列島をたどり、カナダ西岸を南下する島づたいのルートでわたったと考えられるが、この番組ではジャイアントケルプの海中林ルートを紹介していた。
 ジャイアントケルプは昆布の一種で、百メートル以上に成長して鬱蒼たる海中林を作り、南の珊瑚礁のように多くの生物に住処を提供している。北米大陸の太平洋岸沿いのジャイアントケルプの海中林が有名だが、実は海中林はアリューシャン列島をへて千島列島沿いに北海道までつづいているという。
 ジャイアントケルプの先端は海面に達し、浮遊性の海藻がからまって、波を静めるので、ラッコが睡眠場所にしているという。海中林沿いに進めば、食物が豊富なので、貧弱な舟でも十分アメリカ大陸に到達できるそうである。
 番組ではもう一つ、大西洋を横断するルートの存在も指摘していた。
 北米大陸にヨーロッパと同じ様式の石器が出土することは『モンゴロイドの地球 第5巻』でも指摘されていたが、新石器時代に大西洋横断は考えにくいので、真剣に検討されることはなかった。
 氷河時代、北大西洋の北半分は氷床で覆われていたが、氷床の縁の部分では下降水流が発生し、海底の養分が攪拌されて豊かな漁場となるので、オットセイやトドのような海獣が集まってくる。氷床の縁沿いに海獣猟をしているうちに、北米大陸に達することは十分考えられるというのである。
 こう見てくると、アメリカ大陸に最終氷期以前から人類が住んでいたとしても不思議ではなくなる。
 しかし、ここで新たな問題が浮上する。現在のアメリカ先住民は新モンゴロイドであり、縄文人の痕跡もコーカソイドの痕跡も認められないことだ。無氷回廊が開きアラスカのマンモス・ハンターが南下した後に、アメリカ大陸の住民がいれかわった可能性があるのである。
 番組では慎重な留保をしつつも、マンモス・ハンターによる旧先住民のジェノサイドの可能性をほのめかしていた。PC的にはきわどいが、ありえない話ではない。

2007年9月18日火曜日

「祇園囃子」

 昼の祇園を普段着の栄子(若尾文子)がスタスタ歩いていく場面からはじまる。伝統と格式がものをいう花街に負けん気の強そうな栄子が一人はいっていく姿にこの映画のテーマが集約されている。
 栄子は一軒の置屋にはいっていき、美代春(木暮実千代)に面会し、舞妓にしてくれと頼みこむ。栄子の母も芸者で美代春の同輩だったが、西陣の織屋の沢本(進藤英太郎)に落籍されて栄子を生んだが、沢本の家業が左前になってわかれ、最近亡くなっていた。
 美代春は実の父親の沢本が保証人になるならというが、落ちぶれ、中風で体の自由がきかなくなった沢本は頑として保証人の判をつかない。頼まれたらいやとはいえない性格の美代春は保証人なしに栄子を引きうける。
 一年の修行の後に栄子は美代吉としてデビューすることになるが、沢本は当てにならず、美代春が支度をしてやらなければならない。美代春は懇意の料亭の女将、お君(浪花千栄子)に金を借り、支度を調える。
 栄子は持ち前の天真爛漫さでたちまち人気者になるが、楠田(河津清三郎)という大企業の御曹司に気にいられ、しかも楠田が受注を狙うプロジェクトの責任者である神崎という役人が美代春に執心したことから二人の行く末に暗雲が立ちこめる。栄子は唇を求めてきた楠田の鼻に噛みつき、美代春はお君がお膳立てした神崎の座敷から逃げてしまったのだ。
 楠田は鼻に噛みつかれた上に、受注が宙に浮いてしまい、踏んだり蹴ったり。美代春が神崎を拒否しつづけるなら、会社の存続があやうくなる。とりなしを頼まれたお君は回状をまわし、美代春と栄子を座敷に出られなくしてしまう。
 芸者といっても所詮売物買物。料亭の意向に逆らうなど考えられないことだったが、アプレゲールの栄子に触発されて、美代春も自分というものに目覚める。二人は花街のしきたりに屈せずに自分をつらぬけるのか。
 この映画の見どころは木暮、若尾、浪花という三女優の競演にある。若尾の生意気な可愛らしさ、浪花の親切ごかしの老獪さもいいが、なんといっても木暮がすごい。匂わんばかりの色香と気っ風のよさ、そして芸者としての意地が美代春を大きな存在にしている。

「赤線地帯」

 吉原の「夢の里」という店を舞台にした娼婦の群像劇で、売春防止法が国会で争点となっていた1956年3月に公開された。映画の中では売春防止法は継続審議になったが、実際は公開2ヶ月後の5月に可決されている。
 「夢の里」は特飲街組合の役員をやっている田谷倉造(進藤英太郎)とその妻の辰子(沢村貞子)が経営する女郎屋で、倉造は娼婦のことを本当に考えているのは自分たちだ、政府に代わって福祉事業をやっているんだが口癖である。
 「夢の里」のかかえる女は5人いるが、みなワケありだ。
 店一番の売れっ子のやすみ(若尾文子)は疑獄事件にまきこまれた父親の裁判費用のために娼婦になった女で、男社会に対して復讐心をもやし、なんとかしてのし上がろうとしている。あの手この手で男から金を引きだしては、仲間の娼婦に金を貸して金利を稼いでいる。貸し布団屋のニコニコ堂の主人(十朱久雄)を手玉にとって夜逃げをさせ、ちゃっかり居抜きで店を買って後釜に納まる。しかし、売春防止法が可決されたら、商売あがったりだろう。赤線を離れられないところに悲しさを感じる。
 ハナエ(木暮実千代)は結核の亭主をかかえる通いの娼婦で、子供をおぶった亭主がむかえにくるのがわびしい。眼鏡をかけてすっかり所帯やつれしていて、その上、亭主を亡くすという悲しい役である。木暮が眼鏡をかけコミカルに演じているのが救いになっている。木暮はコメディエンヌとしても一流である。
 若尾と木暮の変貌ぶりからすると「祇園囃子」から10年くらいたっていそうだが、実際は3年しかたっていない。演技力恐るべし。
 ミッキー(京マチ子)は栄公(菅原健二)の連れてきたニューフェース。ゴージャスな肉体を強調した洋装で人気者になるが、浪費家で前借りばかりしている。彼女神戸の貿易商の娘で、母親をないがしろにした父親に反発して娼婦になったといういわくがある。世間体を気にした父親がむかえにくるが、父親の女遊びをなじって追いかえす。
 より江(町田博子)は東北訛の垢抜けない女だが、結婚を約束した男がおり、すこしづつ所帯道具を買いためているが、前借がなかなか減らず、いつ結婚できるかわからない。ミッキーが前借は無効だから、逃げてしまえば警察沙汰にできないと教えたのをきっかけに、他の娼婦が協力して首尾よく逃げることに成功する。しかし、結婚生活は上手くゆかず、すぐにもどってきてしまう。
 ゆめ子(三益愛子)は満洲から息子を連れて引きあげてきた未亡人。戦死した夫の両親と息子を養うために東京に出てきて、娼婦に身を落としている。息子といっしょに暮らすことを夢見ているが、集団就職で上京した息子が店を訪ねてくると居留守を使い会おうとしない。しかし、息子は厚化粧で客に媚びる母親の姿を見てしまい、ショックを受ける。ゆめ子は息子の勤める工場に会いにいくが、息子に拒否され、最後は発狂する。
 この映画、大昔にも見ているが、今回の方がおもしろく見ることができた。日本映画全盛期をささえた大女優の競演で、こんな映画は二度と撮れない。

2007年9月15日土曜日

デュアル本

 中経出版が書籍購入者に電子テキストを提供する「ネット書籍サービス」をはじめたそうである(CNet)。
 うっかりしていたが、三省堂が「dual大辞林」として同様のサービスをすでに開始していた。辞書こそ電子データの利便性がものをいうわけで、紙の辞書離れを防ぐ決め手になるかもしれない。
 今はすべてコンピュータ組版になっているので、電子テキストはすでにあるわけである。ほとんど追加コストがかからないのだから、出版社側にもメリットがあるはずだ。問題は著者側の気分的な問題ということになる。
 認証がややめんどうのようだが、ICタグを本に埋めこんで、買ってきた本をパソコンにかざすだけで認証が終わるようにしたらどうだろう。CDをリッピングする際、自動的にネットから曲名や演奏者のデータをひろってきてくれるが、あのようなことが本でもできたらいいと思うのだ。
 またこういう利点があれば、なかなか進まない書籍のICタグ化を後押しすることにもなるだろう。